甲子園の風BACK NUMBER
「よく来れましたね?」池田高校“甲子園優勝メンバー”に再取材…徳島へ“越境入学”した男の告白「まるで仙人だった」初めて蔦文也と対面した衝撃
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田中仰Aogu Tanaka
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2026/08/30 11:00
1986年、春の甲子園を制した池田高校。80年代、これが同校3度目の甲子園優勝となった
蔦は必ずしも野球を通じて子どもを教育しようとは思っていなかっただろうと、森は考える。
「あの人は先生だけど、プロを経験した選手でもあった。その側面が多分にあると思います。使える子は、素行が悪かろうが使う。勝つことが大事だから。結果さえ出してくれれば使うというスタンスだったんじゃないかな」
森が生活した「池田町」
「レギュラー組と控え組の扱いは、完全に違いましたか」とわたしは訊いた。
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「違いましたね。控え組の生徒は、蔦さんから名前を呼ばれることすら、ほとんどなかったんじゃないかな。生徒に直接指導することもない。レギュラー以外の選手には無関心だったと思う」
森が鍋の湯を、ティーバッグが入ったコップに注いでいく。
「井上監督は、蔦さんが県外出身者を好まなかったと言っていました」
「だから僕も外様の意識はありましたよ。同学年は徳島市内出身の奴らが多かったし。OBになっても、その一線はある気がします」
関東から池田へ進学した部員は、同じ学年に森を含めて二人いた。森は蔦寮、もう一人は寮近くのアパートに下宿していた。各学年一〇人程度のレギュラーを優先して入寮させていたようで、主力組はほぼ全員、蔦寮で生活していた。
「徳島市の球場で試合がある場合、地元が市内周辺の人は前日に家へ帰るんですよ。でも僕は寮から出発する。朝、川原さんが運転するマイクロバスに乗って球場へ向かいました。そういうところからも、自分が外様であることを感じていたのかもしれないですね」
〈中略〉
森との問答を当時の練習環境に向けた。
練習を見ていたのは誰だったのか。
〈つづく〉
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