甲子園の風BACK NUMBER
「よく来れましたね?」池田高校“甲子園優勝メンバー”に再取材…徳島へ“越境入学”した男の告白「まるで仙人だった」初めて蔦文也と対面した衝撃
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2026/08/30 11:00
1986年、春の甲子園を制した池田高校。80年代、これが同校3度目の甲子園優勝となった
そして、水を入れた鍋を薪の上に置きながら「なんでも聞いてください」と言った。
「まるで仙人のよう…」池田へ越境入学
森は神奈川県平塚市の出身だ。中学時代、強豪シニアクラブの主力であった森は、地元の名門校に進学することもできた。だが、甲子園のテレビ中継を見ていたときに、自分が目指すべき高校は遠く離れた徳島にあることを知った。
決め手は、プレー内容というよりも試合後の映像だ。インタビューに応じる蔦の風貌に目を奪われた。
ADVERTISEMENT
「まるで仙人のようだった」と森は回想する。
うまくなりたい、甲子園に出たいという願望以上に、この男の近くにいれば自分は成長できるのではないか。そんな直感が森にはあった。
蔦と初めて対面したのは中学三年のとき。半ば押しかけるようにして池田高グラウンドへ行き、自分のプレーを蔦に見てもらった日だった。簡単な挨拶を交わした蔦が何を話したのか聞き取れなかった。その理由が森の緊張によるものだったのか、蔦の阿波弁によるものだったのかは定かではない。
日本で最も野球が強い高校、その名物監督が目の前に立っている事実が、一四歳の少年を圧倒していた。
池田を受験するためには徳島県内の中学を卒業する必要があったため、祖父母とともに引っ越して、徳島・三加茂中学に転校した。そして一九八四年に池田へ入学した。
新入部員の“運命”が決まる日
入学直後の四月には、レギュラー組と控え組への振り分けが行われる。全体練習が終わった後、一年生だけ残されて、一四〇キロの高速スライダーにセットされたバッティングマシーンの打席に立たされる。その様子を蔦は黙って見ていた。
基準は遠くに飛ばせるか、その一点であったと森は言う。この振り分けによって、新入生二五人のうち半分は、レギュラーになる可能性が消えた。彼らは補助要員やマネージャーに回され、主力争いに復帰することはなかった。
森はさも当然といった調子で話した。
「監督は生殺与奪の権を握ってますからね。何かしでかすと、スタメンを外されるだけなので」
蔦と二人で話した記憶はない。森に許された返答は、「はい」か「いいえ」の二択ですらない。「はい」だけだった。

