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「謎めいた人物だった」高校野球の伝説的監督・蔦文也の“元担当編集者”が重要証言…池田高校で甲子園3度優勝、名将をとりまく“2つのイメージ”
posted2026/08/22 11:00
池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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AFLO
刊行に際し、生前の蔦監督と親交が深く、当時の著作の担当編集者でもあった近藤雅人氏が、本作への率直な思いを明かした記事の短縮版をお届けします。
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「謎めいた人物だった」――そう振り返るのは、蔦文也氏の著書『攻めダルマの教育論』(1983年刊)の編集にも携わった近藤雅人氏だ。亡くなって四半世紀が経つというのに、かくも多くの者に強烈な印象を残しているとはどういうことなのか。
蔦氏をめぐっては、世間に二つの大きなイメージが流布している。一つは、「野球の神様」とも呼ぶべき存在。守りが基本であった高校野球に打力優先の考え方を持ち込み、筋骨隆々とした選手たちを率いて甲子園を驚異的な勝率で勝ち進んだ名将像だ。もう一つは、酒好きのロマン溢れる人物という印象。「ワシから野球をとったら酒しか残らん。酒をとったら野球しか残らん」という朴訥な言葉とともに、日本人が忘れかけた「大切なもの」を思い出させてくれる存在として、ある年代以上の人たちの記憶に深く刻まれている。
元担当編集者が“解けなかった謎”
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近藤氏は90年代の初めごろ、蔦氏との雑談をきっかけに回想録を残す企画を立ち上げ、長時間のインタビューを試みた。縁のある諸先輩を訪ね歩くなど取材を重ねたが、蔦氏が体調を崩したことで頓挫。当時まとめた原稿と取材録はダンボールに詰め込まれ、自宅の押し入れ奥深くに長年、眠り続けた。
今回、田中仰氏の著書『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』を読み、当時の原稿を久しぶりに引っ張り出した。田中氏が描き出した蔦文也像について、「私が蔦氏からじかに聞いていたものと、ほとんど乖離がない」と語る。名家の坊ちゃんとして育ち、戦前に甲子園で脚光を浴び、特攻隊員として死の恐怖と向き合い、戦後はプロ野球を経て四国の山あいの地へ――。その複雑な経歴が、蔦文也という人物の「謎」の核心に迫る背景にあった。
“二つのイメージ”からはみ出す蔦文也の奥深さ、そして本当の人柄とはどのようなものだったのか? 詳細は記事本編で描かれている。
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
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