甲子園の風BACK NUMBER
「野球の神様か、あるいは…」池田高校の名将・蔦文也のナゾ「亡くなって四半世紀が経つのに…」蔦の素顔を知る“元担当編集者”の告白
posted2026/07/29 11:00
池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督
text by

近藤雅人Masahito Kondo
photograph by
KYODO
刊行に際し、生前の蔦監督と親交が深く、当時の著作の担当編集者でもあった近藤雅人氏が、本作への率直な思いを明かした。【全3回の初回/第2回、第3回も公開中】
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田中仰氏の『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』を読んだ。一読して思ったのは、亡くなって四半世紀が経つというのに、かくも多くの者に強烈な印象を残している蔦文也という人物の謎めいた大きさだ。
一般に、蔦文也氏について世間に流布しているイメージは、大きく分けて二つあるのではないかと思う。
蔦監督は「謎を秘めた人物」
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一つは、野球の神髄を極めた人物。蔦氏は、それまで守りが基本であった高校野球に打力優先の考え方を持ち込み、筋トレで鍛えられた筋骨隆々とした選手たちを従えて、甲子園を驚異的な勝率で勝ち進んだ。勝負勘は冴えわたり、指導熱心。選手たちの微妙な心理の動きも深い洞察力で読み切る「野球の神様」のような存在であるというイメージだ。
『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)は2026年7月29日発売
もう一つは、酒好きのロマン溢れる人物。中央から遠く離れた四国の山あいの地で、長きにわたって一途に野球に打ち込んだ蔦氏は、朴訥な語り口で「ワシから野球をとったら酒しか残らん。酒をとったら野球しか残らん」を始めとして、数々の名文句を残した。蔦氏は、オイルショックによって高度成長期が終わろうとする1970年代半ば、わずか11人の部員で春の甲子園準優勝を果たし、全国的な注目を集めた。日本人が忘れていた「大切なもの」を思い出させてくれる無垢な人物であったという印象が、ある年代以上の人たちには深く記憶に刻まれている。
どちらも蔦文也という人物の本質を捉えていると思う。しかし、蔦氏はそのような型にはまった捉え方だけでは収まりきらない奥の深い、謎を秘めた人物であったように思う。
