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「僕は帰ってきました」武豊の“騎手人生の分岐点”はあの馬だった…「今も果たされていない夢」メイショウタバルでの凱旋門賞参戦が“運命的”な理由

posted2026/07/27 17:26

 
「僕は帰ってきました」武豊の“騎手人生の分岐点”はあの馬だった…「今も果たされていない夢」メイショウタバルでの凱旋門賞参戦が“運命的”な理由<Number Web> photograph by JIJI PRESS

メイショウタバルとのコンビで宝塚記念を連覇した武豊。秋には凱旋門賞への参戦が予定されている

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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JRA生え抜きの騎手として、初めて通算5000勝を達成した武豊。50代後半を迎えてなお冴えわたる騎乗技術と、衰え知らずのモチベーションの源泉はどこにあるのか? 今年も安田記念と宝塚記念を制したレジェンドの原点を、「天才」と呼ばれた若手時代を知る筆者が掘り下げていく。(全2回の2回目/前編へ)

◆◆◆

 武豊の通算5000勝目は、父・邦彦が生まれ育った函館で記録された。

 武の曽祖父にあたる武彦七は、「日本馬術界の英雄」と呼ばれた函館大経の弟子だった。

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 彦七は、兄の園田実徳が函館市桔梗町に開いた園田牧場の管理を任された。その園田牧場で1938年、彦七の孫にあたる邦彦が生まれた。台地にあった牧場から、函館の街が一望できた。馬に乗ると、遠く沖のほうまで見わたすことができたという。

 武家に流れるホースマンの血脈の原風景は、函館にあったのだ。

松本好雄オーナー、石橋守調教師との深い縁

 また、騎乗馬ヒミノエトワールの佐々木八郎オーナーは、武が新人のころから騎乗を依頼してきた馬主で、管理する宮地貴稔調教師は、かつて武邦彦厩舎で働いていたという縁もあった。

 1995年のJRA通算1000勝は、小倉第3レースのエールノコイビト。2002年の2000勝は阪神第12レースのディスカバリーベイ、2007年の3000勝は京都第1レースのスカイビューティーだった。

 4000勝は2018年、阪神第10レースの芦屋川特別で、メイショウカズヒメに騎乗して達成した。「メイショウ」の冠で知られる松本好雄オーナーは、父・邦彦の代からつながりがあった。

 その松本オーナーにとって最後のGI勝利となったのが、武がメイショウタバルで制した昨年の宝塚記念だった。松本オーナーは同年8月23日、個人馬主として史上初のJRA通算2000勝を達成し、その6日後、87歳で亡くなった。

 メイショウタバルは、長男の好隆氏に引き継がれた。

 同馬を管理する石橋守調教師は、競馬学校騎手課程で武の2期先輩にあたる。父が栗東で厩務員をしていたことから、子供のころ、よく武と一緒にテレビで競馬を見たという。

 その石橋調教師が騎手時代に乗っていたメイショウサムソンは、凱旋門賞参戦が具体化すると、武に乗り替わった。松本オーナーは武と石橋と食事の席をともにし、鞍上を替える意思を伝えた。

 それから20年近く経ち、今度は管理調教師と主戦騎手として、世界最高峰の舞台に乗り込むことになった。

【次ページ】 「騎手人生の分岐点」となったキズナとの出会い

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