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「内臓が全部垂れ下がって、足元がフワフワして」“部屋存続の危機”を乗り越えた先に…常盤山部屋おかみが号泣した弟子たちの“卒業レター”
text by

佐藤祥子Shoko Sato
photograph byTakashi Shimizu
posted2026/07/24 11:03
「『先代おかみ』として、そっとみんなを見守っていく」と語るルミコさん(右)と常盤山親方
元ラジオ局のアナウンサーでもあったルミコさんが、柔らかな声で時折涙ぐみながら読み上げた手紙には、弟子たちのそれぞれの想いが込められていた。
"卒業旅行"で「寂しくなっちゃった」
そんな常盤山部屋からバトンを受け取り、「湊川部屋」として名を変え、若き師匠となったのは、元大関貴景勝だ。
29歳という最年少の師匠である。
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「長い相撲部屋ともなると、30年続けていらっしゃるところもありますよね。私たちは10年という短い期間だったけれど、限られた時間のなかで愛情を注いで来たという部分では、私は、やり切った思いがあります。ひとりの力士――人間としても信頼できる貴景勝が継いでくれるって、こんな幸せなことはない。思えば、行き場が無くなるという部屋を引き受けながら、ここまで来ました。名前は変わっても常盤山部屋を引き継いでくれ、安心しています。『やっと相撲の神様からのご褒美がもらえたかな』と親方も言っているんですよ」
今年6月、友人に誘われ、夫婦でのんびりと沖縄に旅行したのだという。ふたりでの時間は十数年ぶりのことだった。
「なんだか卒業旅行みたいですね(笑)。今までは部屋のみんなとの旅行で、張りきって旅のしおりも作ったりしてました。でもね、ステーキハウスに親方と入って『去年はこのお店を借り切って、みんなと一緒だったんだな』と思ったら、ちょっと寂しくなっちゃった。部屋を譲ったといっても、地方場所の宿舎のことや地元の方への御挨拶だとか、引き継ぐことはいろいろある。まだ“卒業”できているわけではないんですよ。千秋楽のパーティでは、今までは私が司会をしていて――変なおかみさんですよね(笑)。『お客様も喜ぶから、これからも司会をしてください』とも言ってくださるんだけど、そこは一線を引かないと。力士の誕生日には、お食事に誘ってみたりはします。でもこれからは『先代おかみ』として、そっとみんなを見守っていこうと思っているんです」
ルミコさんは、一昨年『千年おかみの哲学』(致知出版社)を上梓した。FM局アナウンサー時代や、舞台芸術を通じてのNPO法人活動、詩人としての自身の半生についてはもちろんのこと、相撲部屋のおかみとしての喜びや苦悩も余すことなく綴られている。
猛暑の最中、まさに頭にねじり鉢巻きの状態で机に向い、ペンを片手に手書きで書き上げたものだという。
「昭和のアナログな人間ですから(笑)。この“千年おかみ”という言葉、昔、あなた――佐藤さんが発した言葉が題名のヒントになったの。『相撲界のおかみさんとして千年分の苦労をしてるみたい』と言ってくれたのを憶えてないかしら? 私は『せめて百年じゃないのかな。へぇ、千年なんだ……』と思って、ずっと心に残っていた言葉なのね」
朗らかな声と、やわらかい日差しのような笑顔を携えた「元相撲部屋のおかみさん」。たった10年の月日が、古来から続く相撲界の歴史を繋いだ。
その月日が今、千年に値する。


