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大統領まで「無能な指揮官」と名指しで…“韓国で猛批判”のホン・ミョンボ、なぜ日本では同情論?「アジア最高のリベロ」がJリーグに刻んだ“本当の足跡”
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戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO SPORT
posted2026/07/08 18:10
柏レイソルでキャプテンを務めた現役時代のホン・ミョンボ。確かな戦術眼と闘志でチームを牽引した
“アジア最高のリベロ”がJリーグに残したもの
その2000年シーズンは、日本における洪のキャリアのハイライトである。ファーストステージを4位で終え、セカンドステージでは鹿島アントラーズと優勝を争う。勝ち点1差で鹿島を追う柏は、最終節の直接対決に望みをつなぐ。
ステージ優勝には勝利が絶対条件の柏は、序盤から攻勢を仕掛けた。ピンチを迎えても攻撃のギアを落とさず、0対0で突入した延長戦でも鹿島のゴールへ迫った。しかし、試合巧者の相手を崩しきれず、スコアレスドローに終わった。勝ち点1差で優勝を逃した。
セカンドステージは2位に終わったものの、年間を通じた勝ち点ではチャンピオンシップ優勝の鹿島、2位の横浜F・マリノスを上回った。西野監督と洪が牽引するチームは、2001年への大きな期待を抱かせた。
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しかし、2001年のファーストステージで6位に終わる。洪は疲労骨折に悩まされ、セカンドステージをほぼ欠場した。チームは年間順位で6位に終わり、洪はJリーグでのキャリアに幕を閉じる。翌2002年に控える日韓ワールドカップへ向けて、母国でコンディションを整えるのがその理由だった。
「国際試合で日本と対戦するときは、絶対に負けない気持ちで臨んでいました。それはJリーグでプレーしてからも、変わることはありませんでした。そのなかで、日本の選手たちとお互いに理解を深めることができたのは、とても有意義なことでした。サッカーについても、多くのことを学びました」
J1リーグ通算114試合7得点という数字は、外国人選手のなかで突出したものではない。しかし、長くライバル関係にある日本のJリーグにキャリアの円熟期を捧げ、日本人選手に大きな影響をもたらしたその足跡は、数字だけでは測れないほどに色濃い。
結果を残せなければ批判を免れないのが、監督という職業である。洪は2014年のブラジル・ワールドカップで監督を務め、グループステージ突破を逃した。そして、今回もノックアウトステージ進出を果たせなかった。
期待が大きければ、その反動として失望も深い。だとしても──。

