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「森保は今、監督として活躍しているが…」W杯で森保一監督が言及…“悲劇の恩師”が語っていた教え子への想い「当時、彼は一軍にさえいなかった」
posted2026/06/21 11:02
W杯オランダ戦後に「異例の賛辞」を送った森保一監督。指揮官として活躍するかつての教え子の姿を、オランダ人の元代表監督はどう見たのか
text by

田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph by
(L)Kiichi Mastumoto /JMPA、 (R)Takuya Sugiyama
北中米W杯で日本の初戦となったオランダ戦後の会見の場で、森保一監督は「オランダの方々に感謝を申し上げたい」と語った。オランダサッカーが日本サッカーの発展に深くかかわってきたことを伝え、感謝の言葉を口にしたのだ。
そしてその実例として森保監督が挙げたのが、自身が選手時代、あの“ドーハの悲劇”の頃に師事したハンス・オフト氏だ。では、オフト氏は指揮官として活躍する森保監督をどんなふうに見ているのか。本人が語ったインタビューを再掲します。《全2回の2回目/最初から読む》(初出:Number839号/2013年10月17日発売 肩書などはすべて当時)
開幕直後のJリーグに「世界中からトップ級の選手が」
たとえばJリーグ。当時の日本には、世界中からトップクラスの選手が集まっていた。
私が後に率いたジュビロでも、ドゥンガやファネンブルグ、スキラッチがプレーしていたし、服部や名波、藤田、福西といった選手は、彼らを参考に才能を開花させていった。
理想的な発展が可能になったのは、チェアマンである川淵さんの判断に負うところも大きい。川淵さんは外国人選手の重要性を踏まえた上で、適切に選手枠を設けている。
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また日本サッカーは、タイミングにも恵まれた。Jリーグが発足した2年後には、例のボスマン判決が下され、人と金の流れがヨーロッパに傾いていく。開幕が遅れていれば、外国人選手を集めるのは難しくなっていた。
かといって、開幕のタイミングはあれ以上早くても危険だった。事実、私は代表チームの選手にかかる負担を減らすため、Jリーグの開幕をW杯の1次予選が終わった後にずらしてほしいと、川淵さんに頼んだほどだ。

