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池袋の路上で8人KO「義理人情の男」ガッツ石松の“じつは偉大すぎた”現役時代…「日本人にライト級は無理」先入観を覆した“基本に忠実なボクシング”
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渋谷淳Jun Shibuya
photograph byJIJI PRESS
posted2026/06/15 17:30
1974年4月11日、圧倒的不利の下馬評を覆してWBC世界ライト級王者となったガッツ石松。その後も5度の防衛を果たした
対戦者が証言…ガッツ石松の“異様な勝負強さ”
基本に忠実でクレバーなボクシングに加え、キャリアの重要局面でアップセットを起こす勝負強さも石松の真骨頂である。1970年1月、世界挑戦を見据える東洋王者のジャガー柿沢から勝利を奪って同年の世界初挑戦につなげた。そして1972年1月、世界チャンピオン候補と言われた東洋王者、門田新一に挑んだ試合は石松の出世試合となった。
この試合も予想は門田の圧倒的有利だった。何しろ両者は5カ月前に対戦して門田が8回TKO勝ち。しかも石松は予定されていた外国人挑戦者の代役であり、直前まで門田のスパーリングパートナーを務めていたのだ。ところがふたを開けてみれば石松がまさかの判定勝ちを収めたのである。
「(門田所属の)三迫ジムは余裕で勝てると思っていたことでしょう。門田は三迫ジムが輪島功一(元WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者)以上に期待していたスターで、この試合に勝つことを条件に世界挑戦が内定していた。その後、門田は世界挑戦しましたけど、結局チャンピオンにはなれなかった。引退してから柿沢と門田が何かの席で一緒になったとき、『お互いガッツに運を持っていかれたね』と話していました」
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石松は大一番で見事なボクシングを披露する一方で、取りこぼしも少なくないボクサーだった。ムラがあるということだろうか。
「確かに練習が大好きというタイプではなかったですね。よく遊んでいたと思うし、だから体重が増えて減量がいつもきつかった。チャンピオンになる前から事業欲がけっこうあって、スナックをやったり寿司屋を開いたりしていました」
キャリアを通して14敗しているが、そのうちKO負けが5つある。決して打たれ強くはなかったということか。前田さんの見方は逆だ。
「2度目の世界挑戦でロベルト・デュランに10回KO負けした試合を、本人は『パンチが効いたんじゃない。これは勝てないと思ったから“嫌倒れ”した』と言ってました。このときは“石の拳”と言われたデュランの全盛期ですからね。私は、石松は打たれ強かったと思います。むしろ石松の武器でした。打たれ強いんだけど、早く判断して寝てしまう。そういうところはありました」

