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「岐阜の天才少年」が10年後、日本代表ブラジル撃破の立役者→W杯へ…22歳DFと恩師が明かす“まさかの連続”「4歳時、兄が練習中もずっとボールを」 

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佐藤景

佐藤景Kei Sato

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2026/06/13 17:00

「岐阜の天才少年」が10年後、日本代表ブラジル撃破の立役者→W杯へ…22歳DFと恩師が明かす“まさかの連続”「4歳時、兄が練習中もずっとボールを」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

22歳で初のW杯に臨む鈴木淳之介。本人や恩師の言葉から知る、急成長のプロセスとは

 フットボーラー、淳之介のルーツは、兄が通っていたサッカースクール「FC DIVINE(ディバイン)」にある。岐阜県各務原市出身の淳之介だが、隣町の愛知県江南市に本拠を置くスクールで本格的にサッカーを始めた。4歳のとき、キッズコースに通い始めると、自分の練習を終えても、練習場だったフットサルコートの片隅でずっとボールに触れていたという。

「兄が練習している間も、自分はずっと隣のコートでボールを蹴っていました。理屈抜きにサッカーが好きだったんだと思います。遊びの延長でしたけど、ボールを触っている時間は他の子どもに比べて、一番長かったですね」

ちょっと蹴り方を教えたら右も左も

 クラブを立ち上げた元Jリーガーの青井健氏は、当時の淳之介について、何よりも「正確性」が際立っていたと証言する。

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「キッズクラスの中でも抜群にキックがうまかった。ちょっと蹴り方を教えたら右も左も、本当に綺麗に蹴るんですよ。力をボールに伝える感覚があったんでしょうね。だから飛距離や正確性がある。教えたことに対する吸収が早くて、それをすぐにピッチで表現しようとするんです。自分の感覚を大切にしながら、納得したものを形にする力が小さい頃からあったのだと思います」

 周囲の子供たちが力任せにボールを蹴る中で、淳之介少年はボールの芯をとらえる感覚をすでに持っていた。淳之介本人はDIVINE時代の指導について「常に高い要求をされていたと思います。自分の学年はすごくレベルが高かったと思うんですけど、その中でも色んなことを求められていた」と振り返る。現在のプレーに通じる基礎を身につけたのも、やはりこの頃のことだった。

「基礎技術は本当に小さい頃に叩き込まれたと思います。小学校の低学年の頃はドリブルをやって、4、5年生になってパスだったりトラップだったりを徹底的にやったことを覚えています。それは今につながっていると思う」

「岐阜の天才少年」と取り上げられた日

 青井氏は担当外だったため、低学年の頃は直接指導に関わっていない。ただし、娘が淳之介と同学年で一緒にサッカーをやっていたことから、たびたび映像を目にしていたという。

【次ページ】 「岐阜の天才少年」と取り上げられた日

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