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「僕が頑固だったので…」木原龍一が“初めての五輪”後に泣いた過去「ペアが強くならないと」三浦璃来と出会い、成長し続けられた“最大の理由”
posted2026/05/05 17:03
ペア結成1年目、全日本選手権フリーの演技を行う三浦璃来と木原龍一
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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AFLO
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4月28日、三浦璃来と木原龍一の引退記者会見が行われた。「オリンピックをひとことで表すなら」と問われた木原は、「涙かな」と答えた。
2014年のソチ五輪。ペアに転向してわずか1年余りで臨んだ初の五輪は、団体戦で決勝5位、個人戦はショートプログラム18位でフリーに進めないまま幕を閉じた。試合後、オリンピックパークで母と会った木原は、こう振り返る。
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「母はそのとき『日本に帰ってきてもいいよ』っていうふうに話してくれたんですけど、やっぱりそこは僕が頑固だったので『大丈夫』と言いながら泣いてたんですけども……」
悔しさと失意の涙は、2018年平昌五輪でも流れた。須崎海羽とともに臨んだその大会も、団体戦で決勝5位、個人戦はショートプログラム21位でフリーには進めなかった。
三浦璃来との出会いが、涙の意味を変えた
苦い経験を経て木原は覚悟を固める。「ペアが強くならないと永久に団体のメダルのチャンスはない」。その言葉を胸に、2019年から三浦とペアを組み、2022年の北京五輪に臨んだ。
団体戦の決勝で2位に入り、日本の銀メダルに大きく貢献。個人戦でも初めてフリーに進み、総合7位で日本ペア史上初の入賞を果たした。演技直後に涙を流した木原は、「やっと世界と戦える自信がついて、出場することができたオリンピックでした」と語った。
引退会見では三浦もこう言葉にしている。「木原さんと組んだ7年間はアスリートとしてだけじゃなくて、1人の人間としても成長することができた、この7年間っていうのはかけがえのない時間だったなっていうふうに思ってます」。
ソチからミラノ・コルティナまで、涙の意味はどう変わっていったのか。そして競技者としてだけでなく、立ち振る舞いの面でも見せてきた成長とは?――その軌跡は本編でさらに詳しく描かれている。
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
