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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「大きなニュースになったのは…」KENTAが明かす“10年以上ぶりNOAH再入団”の全真相…「得意技禁止」「ケガさせるのは重罪」のWWEを経た現在
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byNOAH
posted2025/07/16 17:01

WWE、新日本を経てNOAHに再入団を果たしたKENTA
WWEでは約5年間在籍し、2019年から日本マットに復帰したが、その時に選んだ場所は古巣NOAHではなく新日本プロレスのリングだった。そのため、NOAHに戻ることへの後ろめたさも少なからずあったという。
「NOAHを一度離れる前は『再建』ということを僕も口にしていて、そこに向けて一生懸命やっていたんですけど。やはり自分自身の夢もあったので、年齢的な部分からそのタイミングで一度離れてアメリカに行かせてもらったんです。だから日本に戻ってくるならNOAHに帰るのが筋だと思うし、それはわかってたんですけど、アメリカで自分が思い描いていたような活躍ができなかったんで。そのまま甘んじてNOAHに戻らせてもらうことが、はたしていいのかどうかと考えたんですよ。
本当だったら広島カープの黒田(博樹)みたいにアメリカのメジャーでも大活躍したあと、古巣に戻ってくるのが理想だったんですけど。あの時の自分では、このまま戻ってもNOAHになんのお土産も持って帰ることができないなって。ただ、わがままで送り出してもらって、数年後にまた所属として甘えさせてもらうことになるんじゃないかと思って、新日本を選んで自分のなかで別の挑戦を続けさせてもらったんです」
次々と“使用禁止された”KENTAの得意技
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KENTAのWWE入団は、当初は華々しいものだった。2014年4月いっぱいでNOAHを円満退団後、同年7月12日のWWE日本公演・大阪舞洲アリーナ大会では、超大物ハルク・ホーガン立ち合いのもと契約書にサインする演出もほどこされた。
キャリア14年、33歳というプロレスラーとして最も脂が乗り切った時期での渡米。NOAHで培ってきたものがどれだけ世界最大のメジャー団体WWEで通用するかという挑戦のはずだったが、いざWWE入りするとさまざまな壁にぶち当たった。
「向こうに行ってすぐ、リングネームを『ヒデオ・イタミ』ってへんなものに変えられて以降、全部ハマんなかったっていう思いが今振り返るとありますね」
NOAHでは自分の思うがままに自由に暴れてきたKENTAの持ち味はキックボクシング修行で身につけた本格的な打撃だったが、ハードヒットな打撃はWWEでは敬遠された。またNOAHで磨き上げたフィニッシュホールドも封印せざるを得なかった。相手をファイヤーマンズキャリーで担ぎ上げてから顔面にヒザ蹴りを叩き込む「go 2 sleep」はKENTAのオリジナルホールドだったが、WWEではCMパンクがGTSの名称ですでに使用していたため、使用が禁止されたのだ。
さらに関節技の切り札だった「GAME OVER(オモプラッタとフェイスロックの複合技)」もダニエル・ブライアン(現ブライアン・ダニエルソン)がYES ROCKの名称で使用していたため使うことができなかった。
「今までやってきた技が取られてしまって。スタイル的にもあまりハードヒットは求められなかった。じゃあ、どこをよしとして俺を取ってくれたのかなという感じでしたね。自分がNOAHで培ってきたものがどれだけWWEで通用するかという挑戦のはずだったんですけど、自分が築いてきたものを捨てて、イチから新たなスタイルに挑戦というものに変わってしまったんです」