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「正直、少し迷いました。でも…」ドラフト指名123人“最後の指名選手”の胸の内…「野球は中学から」「投手歴2年」ソフトバンク育成13位が期す下剋上 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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posted2024/11/23 06:00

「正直、少し迷いました。でも…」ドラフト指名123人“最後の指名選手”の胸の内…「野球は中学から」「投手歴2年」ソフトバンク育成13位が期す下剋上<Number Web> photograph by Fumi Sawai

ドラフト指名123人“最後の指名選手”となったソフトバンク育成13位の門前高校・塩士暖投手。そのリアルな胸の内は…?

「展開によっては自分のせいで負けてしまうこともあるので、1球1球、大事に投げなければいけないと思うようになって。どこかでプレッシャーが見えない圧に感じたこともありました。自分はメンタルが強い方ではなかったんですけれど、山下先生から“弱気は最大の敵”という言葉をよく言われました。厳しい場面になれば、その言葉を頭に浮かべるようにしました。それに、自分のせいで負けるというより、逆に言えば自分のピッチングで流れを変えたり勢いをつけたりすることができると思うと、やりがいを感じるようになりました」

 2年春の練習試合ではストレートは130キロ前後だった。「結構打たれる試合ばかりでした」と振り返るも、その夏からエース番号を背負い、秋には135キロまで伸びた。冬場にトレーニングを重ねて身体を大きくすると意気込み、厳しい冬を乗り越えるつもりだった。

 だが、2024年になったばかりの元日に大地震が能登半島を襲った。あの日のことは今でも忘れられない。

大きな影響を受けた年始の能登震災

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 1月1日。自宅で家族全員が集まり団らんの時を過ごしていると、突如激しい揺れが襲った。家の中は家具が倒れ、物が散乱した。すぐに避難命令が発令され、部屋着のまま家を飛び出し、近所にいる高齢のおばあちゃんを寒空の下おぶって避難所へ向かった。

 同じ避難所にいたチームメイトでキャプテンの前川知貴らも含めた高校生らが、担架で負傷したお年寄りを学校の3階まで運び、翌日以降は水汲みなど力仕事も手伝った。

 冬休みの時期が過ぎても、学校再開の目処は立たず、もちろん練習もできなかった。物資を運ぶなど、避難所での手伝いを2週間ほど続けていたある日、家族からこんな話を聞いた。

「2年生の遊撃手の山本(健文)君とピッチャーの石田(煌峨)君のお母さんから、自分を預かってくださると言っていただきました。僕だけお家にお世話になって、一緒にトレーニングや練習をするのはどうかって言われたんです。家族は野球のことを心配していたし、お世話になることにしました」

【次ページ】 被災期間で重視した「フォームの探求」

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