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「柔道が嫌になっていったんです」パリ五輪金メダル・角田夏実がいま明かす“引退”がよぎるほどの挫折「こんな柔道をしているくらいなら…」《NumberTV》
posted2024/11/21 11:01
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Nanae Suzuki
【初出:Number1109号[挫折地点を語る]角田夏実「自分の柔道を見失っていた」より】
日本女子柔道史上最年長の金メダル
「家族の応援もそうですし、高校や大学の先生、私に巴投げを教えてくれた人も現地まで試合を見に来てくれたんです。私がここまで諦めず戦ってこられたのは、そういう方々が応援してくれたおかげ。その人達のためにここでメダルを獲りたいという気持ちで戦っていましたね」
角田夏実は1枚の写真の前に立つと、言葉を詰まらせた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「オリンピックのときの写真を見るとダメなんですよ。表彰式のことを思い出してしまうので......」
パリ五輪柔道女子48kg級。角田は日本女子柔道史上最年長となる31歳11カ月で金メダルを獲得した。全 5試合中4試合で、代名詞ともいえる巴投げと腕ひしぎ十字固めで勝利を手繰り寄せた。ここ数年、圧倒的な強さを見せているが、金メダルまでの道のりは決して順風満帆とは言えない。20代半ばまではほぼ無名の存在で、五輪とも縁がなかった。何度も怪我と挫折を繰り返し、ようやくたどりついた頂点だった。
2019年、52kg級から48kg級への異例の階級変更は紛れもなく彼女の大きな転機となっているが、実はその2年前、「引退」の2文字が頭を過るほどの挫折を味わっている。
2017年8月、ブダペスト(ハンガリー)で行われた世界選手権。角田は年明けから怪我が続き、大会直前にも右足の甲を剝離骨折していたが、準優勝を果たした。
「国際大会に出場したのも2大会ぐらいで、世界選手権は初めての経験。プレッシャーも少なかったですし、それ以上にこの大会に出られるんだという喜びの方が大きかったですね。多少の緊張感はありましたけど、自分がやれることをやるだけと挑戦者の気持ちで臨めた大会でした」
ただ、銀メダルの反響は予想以上に大きく、その後、重圧となって角田に大きくのしかかった。
「どうしようという不安が大きかったですね。そんなに強くもないのに、成績上は強い選手に変わって。自分の実力はそこ(銀メダル)に追いついていない感じがしていました。周りからは、世界で銀メダルを獲る人はどういう柔道をするのか、どれだけ強いのかと見られているんじゃないかとか、がっかりされたらどうしようと思うように。そのうち自分らしい柔道が出来なくなってしまって。練習も楽しくなくなり、どんどん柔道が嫌になっていったんです」
こんな柔道をしているならやらない方が…
周囲の期待に応えたいという気持ちが、過度に働いた結果だった。
「練習も、いつもなら駆け引きを楽しんだり、投げたり投げられたりしていたんですけど、どうしても“投げられちゃいけない” というように、必要以上に強く見せなければと型にはめていました。そのうち、どういう柔道をしていいのか分からなくなってしまったんです。楽しく柔道ができなくなったら私の柔道ではないし、こんな柔道をしているくらいならやらない方がいいんじゃないかと思うようになっていました」
'17年12月のグランドスラム東京、ワールドマスターズはともに7位と惨敗。迷いが結果にも影響し、「試合で負けるとまた練習も楽しくなくなってしまい、練習が楽しくないから試合でも勝てない」と悪循環に陥っていた。
【番組を見る】NumberTV「#9 角田夏実 こんな柔道、私じゃない。」はこちらからご覧いただけます。