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「左利きの右ウイング、誰かいない?」本田圭佑がまさかの1試合限定契約…元日本代表助っ人が導いたブータン初の国際大会出場、その死闘と奇跡
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/09/04 11:01
ブータン・パロFCで4番を背負ってプレーした本田圭佑
折しもAFCは'24-'25シーズンを機に大改革を行おうとしていた。ACLを2つのカテゴリーに分け、AFCカップを「AFCチャレンジリーグ」に刷新。さらに外国人枠を撤廃した。ホームグロウンの条件を満たす選手を2人、試合のメンバーに入れれば、何人でも外国人を起用できるようになったのだ。
これを生かさない手はない。パロは南アジアのライバルたちに先駆けて、外国人選手をかき集め始めた。
まずはモンゴルでプレーしていた海野智之を獲得し、次に金城寛大と成田光希を獲得。他国からも選手を獲得し、すでに在籍していた44歳の本間和生らを含めて日本人4人、ガーナ人3人、セルビア人2人、モンテネグロ人1人という多国籍軍ができあがった。
ブータン王者としてAFCチャレンジリーグのプレーオフを優位な戦力で迎えられる……はずだった。
ブータンのビジネスマン対ネパールの牧師
しかし、新たなクラブが勃興しているのはブータンだけではなかった。ネパールにも急成長するクラブが存在した。
ひとりの牧師によって'09年に創立されたチャーチボーイズ・ユナイテッドである。
当初、タンカ・ラル・ライ牧師(通称ルーベン)は選手としてキャプテンを務めていた。いつかネパール1部でプレーするという夢を持っていたからである。
ところが牧師はすぐに現実を突きつけられる。'10年に3部参入のトーナメントに初参加したところ、手も足も出なかったのだ。結局チャーチボーイズが3部に参入するまで約10年間を要してしまう。
だが、牧師には教会の国際ネットワークからスポーツ支援を受けられるという強みがあった。ノウハウを学び、少しずつ基盤を整えていった。
奇跡は突然始まった。'21年、チャーチボーイズは3部で優勝し、2部への昇格を果たす。すると'22年に2部で優勝し、さらに'23年に1部で優勝。3年連続の昇格&優勝はネパール史上2クラブ目の快挙だ。'23年5月にはネパールの電力会社「API Power」がメインスポンサーにつき、名実ともにネパールを代表するクラブになった。
あまりの急躍進のため'23-'24シーズンはAFCライセンスの取得が間に合わず、AFCカップのプレーオフに出場する権利を得られなかった。
ただし代替措置として'24-'25シーズンのAFCチャレンジリーグのプレーオフに出場する権利が与えられた。8月13日にネパールの国立競技場で行われる一戦の対戦相手はブータン王者パロ。
初の国際舞台を目指し、ルーベン牧師はネパール代表選手をかき集める戦略を取った。パロ戦に向けて「アフリカ人選手3人+ネパール代表8人」という先発をつくり上げた。
ブータンのビジネスマン対ネパールの牧師。
両者の知恵と戦略がぶつかり、国の威信をかけた戦いになることは間違いなかった。
まさかの本田圭佑、1試合限定契約?
ところが、名物会長同士の対決という構図を根底から覆すような事変が突如として発生してしまう。
きっかけは7月下旬、パロのカルマ会長がタイ在住の仲介人・真野浩一に宛てた1通のメッセージだった。
「1試合限定の契約で左利きの右ウイングを探している。誰かいないか?」
1試合限定――。試合が終われば無所属、つまり無職になるわけで、一般的なプロ選手であれば受け入れづらい条件だろう。話を聞いて憤慨する選手がいてもおかしくない。
だが、真野は知人に相談するなどリサーチを続けるうちに、思わぬ人物が最適解になりうることに気がついてしまった。
本田圭佑、38歳である。
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