競馬PRESSBACK NUMBER
“消えた天才騎手”田原成貴「鈴木さん、久しぶりですね」因縁スポーツ紙記者と再会で…「ブライアンは終わったな、と」三冠馬を大いに語る
text by
鈴木学Manabu Suzuki
photograph byJIJI PRESS
posted2024/06/01 11:02
田原成貴とマヤノトップガン。ナリタブライアンの好敵手として立ちはだかったからこそ感じた、三冠馬のリアルな強さとは
なぜなら、ナリタブライアンに先着した騎手は彼を含めて24人おり(とはいえ、その大半はナリタブライアンが本格化するまえの2歳時か、股関節炎から復帰初戦の1995年秋の天皇賞でのもの)、複数回先着した騎手も4人いるが、ナリタブライアンに2度も勝ったのは田原成貴だけだから。しかも頭が良くて弁も立つ。これ以上の適任者はいない、と。
そうはいっても、騎手と記者として友好関係を築いていた当時とは違うし、何より30年近く音信不通である。取材のオファーを受け入れてくれるのか。しかし、東京スポーツの知人を介して取材依頼を出すと、拍子抜けするくらいあっさりとOKが出た。
久しぶりですね。いつ以来になるのかな
東スポの知人から「あとは直接、本人と話してください」と、現在の携帯電話の番号を伝えられ、電話をかける時は緊張した。30年ほどまえ、彼のマスコミ(特に毎週のようにトレセンへ取材に来るスポーツ紙の記者)への対応はだいたいぶっきらぼうで、それは私に対しても例外ではなかったからだ。饒舌な時のほうが多いのだが、気分屋だけに不用意な発言をすれば取材を打ち切ることもあり(なかにはもっと面倒な騎手もいたが)、尖った彼へは慎重に言葉を選んで取材していた。
高鳴る自分の胸の鼓動を聞きながら、教えてもらったばかりの電話番号をスマホに入力した。
「鈴木さん、久しぶりですね。いつ以来になるのかな」
電話口から忘れようもない懐かしい声が聞こえてきた。ただ、その語り口がマイルドで丁寧なのが30年前とは違っていた。
(中略)
伝説の96年阪神大賞典を田原が回顧する
いきなり話が核心に迫ろうとしたので、私は身構えた。
目の前にいる田原さんの目の色、そして語り口が変わっていた。30年前の田原成貴に戻っているかのようだった。