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ドジャースは“オオタニ資金”を貯めていた…日本ハムとエンゼルスに獲られても、揺らがなかった「オオタニ愛」12年物語
posted2023/12/17 06:00
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph by
Kirby Lee-USA TODAY Sports/AFLO
澄み切った青空のように、大谷翔平の表情は晴々としていた。
12月14日、ドジャースタジアムの特設ステージで行われた入団会見。ドジャーブルーの背番号「17」のユニホームに初めて袖を通した大谷は、壇上から真正面を見据えて言った。
「まず優勝することを目指しながら、そのところで欠かせなかったと言われる存在になりたいですし、そういう期待を込めた契約だと思うので。期待に応えられるように、今後も全力で頑張っていきたいなと思っています」
高校卒業、メジャー挑戦時は「獲られた」格好に
今オフ、FA(フリーエージェント)となり、世界中から注目を浴びた大谷翔平の移籍先は、名門ドジャースで決着した。12月上旬に開催されたウインターミーティングを機に、ブルージェイズ、ジャイアンツ、古巣エンゼルスが最終候補として絞られる中、ドジャースはプロスポーツ史上最高額となる10年総額7億ドル(約1015億円)を投じて、世界トップのアスリートを口説き落とした。周囲からは破格の契約内容が注目されがちな一方で、ドジャースは花巻東時代以来、12年間にわたって大谷の動向を見守り続け、虎視眈々と獲得するチャンスを狙っていた。
2012年、高校3年生でメジャー挑戦の意思を表明した際、ドジャースはいち早く岩手・花巻で直接面談を行い、好感触を得ていた。ところが、その後、NPBドラフトで日本ハムが強行指名した結果、大谷は育成方針など30ページにも及ぶ細かい資料を準備した日本ハムの熱心な説得に翻意し、メジャー挑戦を断念した。
2017年オフ、大谷がポスティング制度を利用してメジャー移籍を決断した際も、ドジャースは猛アタックをかけた。代理人側が要望した書類によるプレゼンテーションを通過し、最終候補の7球団に残った。ロサンゼルス近郊で行われた交渉には、サイ・ヤング賞3回の絶対的エース、クレイトン・カーショーも同席した。だが、当時はナ・リーグには「DH」がなく、大谷がこだわり続けていた「二刀流」が困難でもあり、客観的な環境が理由で争奪戦から脱落した。
2年連続で真剣にトレードを打診
それでも、ドジャースの「大谷愛」は変わらなかった。