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中邑真輔から「おまえ、いつ来るの?」 総合格闘技からプロレスラーに、佐々木憂流迦の原点「ムタvsシンスケ・ナカムラを観て…」
posted2023/11/12 11:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Gantz Horie
元UFCファイターでRIZINでも活躍する総合格闘家の佐々木憂流迦(ささき・うるか)が、11月13日に行われるプロレスリング・ノアの新ブランド「MONDAY MAGIC ep3」で、プロレスデビューをはたすこととなった。
佐々木憂流迦は元・修斗環太平洋フェザー級王者で、2014年から総合格闘技(MMA)の世界最高峰UFCに参戦し“メジャーリーグ”で4年間活躍。2018年からは日本のRIZINに参戦し、のちのRIZINバンタム級王者で現UFCフライ級8位のマネル・ケイプに勝利。今年5月の「RIZIN.42」でも南アフリカのボイド・アレンにも勝利している日本トップクラスのMMAファイターだ。
その憂流迦がプロレスの世界に飛び込む決心をしたのは、“あの試合”を観て打ちのめされたからだという。
「ちょっと前に共通の知人を通じて、NOAHの方とご縁をつないでもらったんですよ。そこで僕がプロレスに興味があることはお話しさせていただいたんですけど、僕はもともと40歳くらいまで総合格闘技をやろうと思っていたので、その時点ではまだ気持ちが決まらずふわふわしてたんですよ。
それで『一度、会場に観に来ませんか?』と誘っていただき、今年の元日、日本武道館に行かせていただいたんです。そこでグレート・ムタvsシンスケ・ナカムラ(中邑真輔)を観た時、感動で打ちのめされたんですよ。僕はプロレスも格闘技もすべて『ファイトアート』だと思っていて、総合格闘技をやりながらも常にアートとしての作品を目指してきたんですけど、ムタvsシンスケ・ナカムラは、入場から試合、そして最後に真輔さんがリングに残りムタが花道を去っていく画まで含めて『ファイトアートの作品として、こんなにすごいものを作ることができるんだ』って感動して、そこで腹が決まりましたね」
プロレスファンだった少年時代
佐々木憂流迦は総合格闘技の試合においても入場シーンから彼独特の世界観を構築してきた選手。そんなエンターテインメント性と芸術性を併せ持つスタイルの原点は、もともと少年時代にプロレスファンだったことが影響している。
「僕の子供の頃、おじいちゃん、叔父、兄がみんなプロレス大好きで、ぼくも感化されてファンになって、兄弟でプロレスごっこばかりしてたんです。あまり激しくやりすぎて、家のウォーターベッドを壊したこともあるくらいで(笑)。小学生の頃は、武藤(敬司)さんと(獣神サンダー・)ライガーさんが大好きでしたね。
それが中学に上がってからPRIDEやK-1が人気になって、僕もそっちにハマって総合格闘家を目指すようになったんですけど、もともと目指していたのはプロレスラーだったんです。僕がデビュー当時から本名ではなく『佐々木憂流迦』というリングネームを使っていたり、入場シーンから自分の世界観を作り上げることを心がけていたのは、原点にプロレスの華やかな入場シーンやエンターテインメントの世界観が頭にあったからじゃないかと思います」