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タイトル獲得を祝福されたのに「すいません…」なぜ高見泰地は“1年後奪われた”永瀬拓矢に感謝するか「人生終わりだ」4連敗後に救われた一通の連絡
posted2026/07/26 07:16
2018年の叡王戦、高見泰地と永瀬拓矢は八大タイトル戦で初めて相まみえた
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大川慎太郎Shintaro Okawa
photograph by
Kyodo News
永瀬がきっかけを与えてくれた研究会参加
高見泰地が晴れてプロ入りした2011年10月、永瀬拓矢はちょうど棋士生活の3年目に入ったところだった。順位戦こそ最下クラスのC級2組だったが、竜王戦はランキング戦6組で優勝し、決勝トーナメントで2勝していた。当時はまだ振り飛車党で、中飛車と三間飛車をよく用いていた。
高見は将棋一本でいくのかと思いきや、大学進学を決意する。高校をわずか3日で自主退学して、将棋に専念した永瀬とは対照的な人生選択だ。
「人と違った道を歩みたかったんです。大学に行く棋士は少数派でしたが、広瀬章人先生や中村太地先生のように大学卒のタイトルホルダーに憧れもありました」
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平日は学業のため研究会などは難しい。そのため大学5年間で、公式戦では特筆すべき成績を上げることはできなかった。高見は趣味の一つである競馬に例えて「回ってきただけの5年間でした」と苦笑しながら述懐する。
決して将棋に向き合わなかったわけではないし、永瀬との交流も続いていた。
「〇〇〇〇研」である。永瀬に大きな影響を与えた棋士である鈴木大介が発起人となり、将棋会館そばにマンションを借りた。「〇〇〇〇」はそのマンションの名前である。
メンバーは会館から自宅が遠い棋士が中心だった。順位戦などで終局が遅くなった際は泊まることができるし(ちなみに永瀬は一度も宿泊したことがないが、お金はきちんと負担していた)、普段は研究会に使うこともできる。
これに高見が参加するきっかけを作ったのが永瀬だった。
「高見くんも入る?」
「A級順位戦のラス前を見に行ったんです。そうしたら将棋会館の控室に、他の棋士に混じって鈴木先生と永瀬さんがいたんです。自分は当時、目上の鈴木先生とはお話ししたことがほとんどなかった。仲がいい永瀬さんはすごいなと思っていました」
夕食に行く彼らと会館のエレベータ前で出くわした。

