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「弾丸!」「甲子園はキヨハラのためにあるのか!」清原和博から浴びた衝撃の2発「僕のような投手にとっては宝なんです」《1985年PL学園vs宇部商の決勝秘話》
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph bySankei Shimbun
posted2022/08/21 17:28
1985年夏の甲子園決勝で宇部商・古谷から2本のホームランを放った清原
すべては初回のセンターフライだった。たとえ凡打であっても、たったの1スイングで投手心理の最も深いところを壊してしまう。それが、怪物の正体だった。
試合は、3-3の同点のまま9回裏に入った。古谷は2死からヒットを許すと、盗塁で二塁へと進まれた。一打サヨナラの場面ができ上がり、球場の空気が張り詰める。打席には3番松山英明。その後ろには清原がいた。
「清原が後ろにいたので、ここで終わらせたいと」
ここで、桂はマウンドの古谷に歩み寄った。
「勝負だ。勝負だぞ!」
一塁は空いていたが、そんな気持ちの余裕はなかった。清原までまわしたくない。宇部商の誰もが、ネクストバッターズサークルに控えている怪物の恐怖を感じていた。
勝負は松山の粘りによってフルカウントになった。この時、古谷はもう、ストライクを投げるしかなかった。
「清原が後ろにいたので、まわしたくないという気持ちがありました。松山はあの打席までヒットがなかったし、ここで終わらせたいと思ったんです」
清原のいない打席に清原の影を見た。四球を出したくない古谷の速球が、わずかに真ん中へ入った。それを松山がとらえた。打球が右中間を破り、芝生の上を転々とする中、走者がサヨナラのホームを踏む。PLベンチが空っぽになった。
桑田が泣いていた。そして、歓喜の輪の真ん中では、バットを持ったままの清原が、それを天に突き上げていた。
劇的な夏の幕切れ。ただ、打たれた古谷に涙はなかった。なぜか、心は晴れ晴れとしていた。
「清原と対戦できたというのは、僕のような投手にとって宝なんですよ。すごく楽しかった。頭の先からつま先まで震える体験というのは、人生であの時だけですから」
最後まで真っさらだった古谷とは逆に、田上は淀んでいた。
試合中、冷めた心のどこかで、マウンドに上がれるかもしれないという期待をずっと抱いていた。8回裏、古谷がピンチを迎えた時、監督がベンチから田上に向かって手招きしたように見えた。喜び勇んで駆け出した。だが、すぐに手の平を返して、止まれの合図。
それは前進守備の指示に過ぎなかった。その時、自分がもうマウンドに立つことはないと悟った。