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敵将も恐れた「ハマの大魔神」佐々木主浩は“ビビり”だった? 重圧と闘い続けたストッパー人生、1998七夕の夜に起きた異変とは
posted2022/07/07 06:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Sankei Shimbun
「ハマの大魔神」こと佐々木主浩投手の葛藤を描いた、これまで有料公開していたSports Graphic Number949号(2018年3月29日発売)『佐々木主浩が魔神になった日』を特別に無料公開します(肩書きは全て当時のまま)。
佐々木主浩は、来世の自分をはっきりと描けずにいる。
「生まれ変わったら? 野球はしない。しんどい(笑)。でも、野球やるならストッパーをするかもしれない」
やるのか、やらないのか、結局、どちらかわからない。この矛盾した思いを聞いてみて思った。おそらく、この人は次の世でも大魔神ではないだろうか。
あと3アウト。ファンが勝利を祈り始めると、ハマスタのマウンドに巨大な背番号「22」が登場する。それだけで願いは叶えられたも同じだった。その光景はこの球団の歴史と言ってもいいだろう。ただ、魔神ははじめからそこにいたわけではない。
先発からリリーフにまわったプロ2年目
佐々木が初めてストッパーになったのはプロ2年目、1991年のことだった。守護神だった遠藤一彦の故障離脱によって、先発からリリーフにまわることになった。
「先発では中途半端な自分がいて、そんな自分が勝ち試合で投げられるようになって、みんなから信頼してもらえるようになって、抑えの喜びというか、やりがいというものがわかるようになった。先発ピッチャーの生活を背負っているわけだから、きつい部分はある。でも、だから打たれたら悔しかった。あの頃からやっと、打たれてクソって思うようになったから」