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「ぶざまな将棋だけは指したくない」「“114連勝”すれば最短で名人」 引退・桐山清澄74歳と田中寅彦65歳の“戦友”が知るウラ話 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2022/05/29 17:00

「ぶざまな将棋だけは指したくない」「“114連勝”すれば最短で名人」 引退・桐山清澄74歳と田中寅彦65歳の“戦友”が知るウラ話<Number Web> photograph by Kyodo News

桐山清澄九段は現役として最後の対局を終えたのち、弟子の豊島将之九段から花束を受け取り笑顔だった

「あんな将棋を指しては大成しない」と言われたが

 田中は1976年に四段に昇段し、19歳で棋士になった。

 田中はデビュー戦で、対戦相手の振り飛車に対して、「居飛車穴熊」の強固な囲いを築いた。当時は珍しい作戦だった。その対局で惜敗すると、相手の棋士に「作戦的におかしい」と批判された。ほかの棋士にも「若いうちから玉を金銀で固める、あんな将棋を指しては大成しない」と言われた。

 しかし、田中は以後の対局でも居飛車穴熊を指し続けて改良を重ね、「堅い、攻めてる、切れない」という必勝パターンが決まり出した。やがて、ほかの棋士たちも指すようになり、居飛車穴熊は大流行した。あまりの威力に「イビアナ」という怪獣のような呼び名がつき、振り飛車を止めた棋士が続出したほどだった。

 なお、居飛車穴熊は田中のオリジナル戦法ではない。同期の奨励会員が指していたのを参考にしたという。その田中が用いて連勝していたから定着したわけで、負け続けていたら廃れたことであろう。

 現代では、居飛車穴熊はタイトル戦の対局で指されるほど、主要戦法になっている。それは1970年代に開発した田中の功績といえる。

 田中は、相矢倉で「飛車先不突き」という新手法も開発した。独創的な発想から「序盤のエジソン」と称された。

谷川浩司についての記事での物議、藤井聡太との対局では

 田中は1983年の七段時代、将棋雑誌に書いた「これほどの人が名人になれないでいる。一方、あのくらいで名人になる男もいる」という記事で、物議をかもしたことがあった。

 前者は、多くのタイトルを獲得していた米長邦雄王将(同40)。後者は、名人以外のタイトルがまだなかった谷川浩司名人(同22)。田中は同期の谷川に対して、差をつけられたもどかしさを感じていて、つい挑発めいた記事になってしまったようだ。後日に、谷川ファンから抗議されたという。

 田中はタイトル獲得(棋聖)が1期、順位戦でA級在籍が通算6期という実績を挙げた。

 そして2022年4月15日。田中寅彦九段は竜王戦で田中悠一五段との対局に敗れて引退が決まり、46年の現役生活を終えた。公式戦の通算成績は、794勝783敗。これも立派な記録である。

 田中九段は引退間際に、非公式戦の「新銀河戦」で藤井聡太五冠(竜王・王位・叡王・王将・棋聖)と対戦した。序盤でリードして終盤で必勝の形勢になったが、何と反則を犯して敗れた。「序盤はエジソンだけど、終盤はピエロでした」と、自嘲気味に語った。

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