- #1
- #2
Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
《人間で言えば100歳》ダービー馬・ウイニングチケット(31)が過ごす幸せな余生…主戦騎手の感謝「私に、ダービーを獲らせてくれるために」
posted2022/05/25 17:01
text by
高川武将Takeyuki Takagawa
photograph by
JIJI PRESS
創刊以来、Numberに掲載された競馬ノンフィクションを厳選した、Number PLUS「名馬堂々」が、昨年10月の発売以来、異例の増刷を重ねています。
5日後に迫った日本ダービーを前に、1993年のダービーを制したウイニングチケットと主戦・柴田政人を描いた「柴田政人、26年目の追憶」(初出:『Number』978号、2019年5月16日発売/肩書などはすべて当時)を特別に全文公開します。《全2回の2回目/前編から続く》
一週間前からの取材拒否など、並々ならぬ決意でダービー当日までの日々を過ごした柴田。相棒・ウイニングチケットと、遂にレース本番を迎える――。
全てを賭けて臨んだダービーで柴田に迷いはなかった。スタートから1コーナーにかけ、すんなりインに入ると岡部が騎乗するビワハヤヒデの後ろにつけ、中団からやや後方でレースを進める。
課題は道中の折り合いをいかにつけるかにあった。チケットは気性が荒く、前へ前へ行きたがる。だが、ハミを噛み過ぎると、最後に伸びない。後に秋の天皇賞で騎乗した武も手こずったが、ハミの加減に高度な職人技が要求される難しい馬だったのだ。
「道中はあまりハミをかけないようにして、最後にかけ直したときにバンッといい脚を使う馬だったの。でも、スタート前から馬の気持ちに凄く余裕があった。2コーナーに行ったら、もう、ふわっとハミが抜けていい感じの走り方してた。向こう正面に入る辺りで、凄くリラックスして走ってたから、今日は行けるな、と思ったよね」
ウイニングチケットを導いた一瞬の鞭
やがて最大の勝負所がやってくる。4コーナーの出口付近に差し掛かったときだ。柴田の眼前に、突如、ぽっかりと一本の道が開いた。先頭馬群に引きずられるように前を行くビワハヤヒデも外に出たのだ。
「この道を通って行けということか? いや、(仕掛けが)早過ぎるか? いや……」
時間にすればほんのわずかな一瞬、柴田の頭は目まぐるしく回転する。
「ここを行かなきゃ、また、俺の道がなくなる」
決断するよりも先に、鞭を入れていた。
「ぶるぶるっと寒気がしていてね」
直線に入り先頭馬を捉える。だが、外へ出たチケットと交差するように内に入ったビワハヤヒデが、驚異的な粘りで馬体を並べてくる。残り100m付近で、その鼻はチケットの前に出る。大外からはナリタタイシンが猛烈な勢いで迫っていた。心臓が止まりそうなデッドヒート。柴田は鬼の形相で、「頑張れ! 頑張れ!」と叫びながら、鞭を入れ続けた。その気迫に呼応するように、チケットは宙を飛ぶがごとく末脚を伸ばし、ビワハヤヒデを突き放したのだ。
地鳴りのようなマサトコールが響く中、ゴールした柴田の顔は、日焼けしているのに、真っ白だった。
「ぶるぶるっと寒気がしていてね。初めてだった、あんなこと。本当に無心になっていたよね。最後は必死ですよ。負けない、負けちゃいけないって。ビワには交わされないと思っていたけど、タイシンがあそこまで来ているとはまさかと思ったよね。
でも、今でも思うんだよ。あの4コーナーでの判断がなかったら、ビワに粘られて負けてるな、と。自分でもよくあんな思い切ったことができたなと思うけど。あの瞬間ですよ、勝ちが決まったのは」