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「最初のプレゼンで少しムッとされた」のに… 日本企業がバルサの聖地改築コンペに勝てた“いい意味での裏切り”とは

posted2022/03/21 11:01

 
「最初のプレゼンで少しムッとされた」のに… 日本企業がバルサの聖地改築コンペに勝てた“いい意味での裏切り”とは<Number Web> photograph by Daisuke Nakashima

特別にカンプノウで撮影した日建設計のメンバー。左から風間宏樹さん、野村映之さん、伊庭野大輔さん

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工藤拓

工藤拓Taku Kudo

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Daisuke Nakashima

バルサの本拠地カンプノウ改築プロジェクトに携わった日本人3人に聞いたインタビューです(全3回の第2回/#1,#3も)

――2016年の設計コンペについて振り返りたいと思います。当初、どれくらい勝算はあったのでしょうか?

伊庭野大輔「勝てるという確証はほとんどありませんでしたね」

野村映之「おそらく最下位からの発進だから、他のところと同じことをやったら勝てない。そうであるなら、自分たちがこれからのスタジアムで目指すべきことを入れて、さらにクライアントが考えていることも入れながら、みたいな感じで始まったのかな」

風間宏樹「2段階方式のコンペで、二次選考に残るのはとても厳しいと思っていたのですが、幸いにもファイナリスト8チームに残った」

伊庭野「二次選考に入ってから本格的に設計チームを組成しました。新国立競技場を担当していた野村や風間達もその時から合流しています。私はレアなケースですけど、二次選考になってから『やりたい』と手を挙げて。その時はカンプノウの仕事というだけで浮き足立っていたから、どうやって勝つか考えてやるというよりも、全く未知の挑戦に臨む、という感じでしたね」

野村「そんな感じでしたね」 

アジアの企業は日建設計だけだった

――珍しい形のコンペだったと聞きました。

伊庭野「今回の要項に『必ずスペインの建築家と組む』という条件が入っていたので、どのチームも世界的な会社とスペインの会社が組んで参加し、日建設計はバルセロナのJoan Pascual - Ramon Ausio Arquitectesという事務所と組みました。一時選考は2015年7月1日に提出し、9月にファイナリストが発表されて8チームに絞られた。二次選考は元々12月まで3カ月間のコンペだと聞いていました。面白かったのはその間にコンペ事務局から、何度かバルセロナでワークショップをやると。結局、何回バルセロナへ来たんでしたっけ?」

野村「私は12月までは2週間に1回くらい来ていました」

伊庭野「8チームの中で日本はもちろん、アジアの企業は日建設計だけ。スペインから見ると東の果ての島国なので、遠距離という理由で落選になるのは避けたかった。クライアントのその印象を変えるために、コアメンバーはFCBとの打ち合わせに必ず出席するようにし、普段からここバルセロナにいる人達だとFCBに感じてもらいたかった。最初のFCBとの顔合わせのミーティングで『日建設計はバルセロナ支店を作ります』と宣言して、これからは頻繁に打ち合わせに来られる、現地事務所と同じですよ、とアピールした。それが最初のステップでした」
 
野村「チームによっては、組んでいる現地の事務所にこまめに行くのを任せて、ワークショップの時だけ来ていた。でも我々は1週間こっちにいて、1週間日本に帰って、を繰り返しました。私は100%専任だから毎回来られましたけど、他の仕事と兼務の人もいたので大変でした」

“建築業界のW杯”、ずばり勝因は?

――二次選考に残った8チームは精鋭揃いで、まさに建築業界のワールドカップ。どんなライバルがいたのでしょう。

【次ページ】 最初のプレゼンは「少しムッとされた(笑)」

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