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“有馬記念で3年連続3着”ナイスネイチャ33歳がふるさとで過ごす幸せな余生「馬なのに“人間っぽくて大好き”と言われます」
posted2021/12/25 17:03
text by
曹宇鉉Uhyon Cho
photograph by
Daisuke Asauchi
「私たちの牧場にとって、すごく大きな存在です。宝物というか、感謝というか、どう表現したらいいのか……」
渡辺はるみさんは、「とても簡単には言い表せない」といった口ぶりでナイスネイチャへの思いを語った。1991年から1993年にかけて、有馬記念で3年連続3着という記録を残した稀代の“ブロンズコレクター”は、33歳の今も健在。生まれ故郷の渡辺牧場で穏やかな毎日を過ごしている。
5年連続で有馬記念に出走した現役時代
渡辺さんが北海道浦河町の渡辺牧場で働き始めたのは、後にナイスネイチャと命名される仔馬が生まれた約3カ月後のことだった。1988年に同牧場で生産された牡馬は4頭。うち1頭は脚元が弱く、ナイスネイチャは残りの3頭のなかでボス格として振る舞っていたという。
「お母さんのウラカワミユキがボス的な存在だったので、その影響もあるんだと思います。でも、育成牧場では他の子にいじめられていたみたい。内弁慶というか、井の中の蛙だったんでしょうね(笑)」
1990年12月、京都競馬場でデビューしたナイスネイチャは、2戦目のダート戦で初勝利をあげる。年明け後は6着、3着、2着と足踏みをしたが、夏の小倉で行われた条件戦からGIII小倉記念、GII京都新聞杯を含む怒涛の4連勝。同世代の二冠馬・トウカイテイオーが骨折で戦線を離脱するなか、“夏の上がり馬”の筆頭格として2番人気でGI菊花賞を迎えた。
牧場での勤務歴が浅かった渡辺さんは、「ポンポンと連勝して重賞まで勝ってしまうことのすごさを、たぶん私はそこまで理解していませんでした。レースのたびに興奮や感動、希望があって、いつも前向きな気持ちでしたね。夫(牧場長の渡辺一馬さん)はずっと生産をやってきたので、また違う感じ方をしていたと思いますが」と当時の心境を振り返る。
菊花賞はレオダーバンの4着、続く鳴尾記念を快勝して2番人気で臨んだ有馬記念はダイユウサクの3着と、GIのタイトルにはわずかに届かなかった。それでも渡辺さんにすれば、自分たちの牧場の生産馬がGIに出走して、無事に帰ってくるだけでも嬉しかった。ナイスネイチャの活躍は、365日休みなく続く仕事のモチベーションにもなったという。