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「崖っぷちの男」レスリング・高橋侑希がついに覚醒 リオ五輪の雪辱を胸に頂点を狙う

posted2021/07/11 17:00

 
「崖っぷちの男」レスリング・高橋侑希がついに覚醒 リオ五輪の雪辱を胸に頂点を狙う<Number Web> photograph by Getty Images

5月にブルガリアで行われた世界最終予選、準決勝でアンドレウ・オルテガ(キューバ)と対戦し、高橋(右)は2-0で勝利

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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 大舞台にたどり着く道筋は選手それぞれだ。レスリング高橋侑希は、粘りに粘った末に五輪の切符を手に入れた。

 一度は瀬戸際に立たされた。19年12月の全日本選手権でリオデジャネイロ五輪銀メダリストの樋口黎に敗れ、4月の東京五輪アジア予選の出場権は樋口が獲得。樋口が2位以内に入れば代表が確定し、高橋の道は閉ざされるはずだった。だが、樋口が計量で失格となり、日本の出場枠確保にも失敗。その結果、5月の世界最終予選には高橋が派遣され、1位となって日本の出場枠を確保。代表決定プレーオフに持ち込んだ経緯があった。

 6月12日に行なわれたプレーオフもまた、土壇場に追い込まれての逆転だった。残り1分半あたりで樋口に2ポイントを奪われ2-2に。規定上、そのまま試合が終了した場合は樋口に軍配が上がる状況となったが、残り1分、樋口のタックルを返し、2ポイントをあげるとリードを保ち試合終了。劇的な勝利だった。

 高橋は幼い頃から期待を集める存在だった。地元の三重県桑名市にあるレスリング教室でスタートを切り、小学5、6年生のときには全国少年少女選手権を連覇。中学生のときにも日本一になり、高校では史上3人目の高校総体3連覇を飾るなど、華々しい活躍を見せた。

 山梨学院大学に進学した後も順調に階段を上がっていった。3年生になり、初めて世界選手権にも出場する。

早熟のレスラーの挫折

 だが、大きな挫折が待ち構えていた。最有力と目されていたリオデジャネイロ五輪代表を逃したのである。4年生となって出場した2015年世界選手権。この大会でメダルを獲得し、かつ同年の全日本選手権に出場すれば、リオの代表に内定する決まりになっていた。ところが高橋は4回戦で不覚を取り、代表争いは持ち越しに。さらに全日本選手権でも敗れるなどして、当時大学2年生の樋口に代表の座を奪われた。

 華麗な経歴をよくよく振り返れば、常勝とは行かず、ここいちばんで勝ちきれない面があった。

【次ページ】 窮地を救った意識の変化

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