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部活が大変なことに…「レギュラーは練習OK、補欠は自宅待機」 生徒を分断する異常ルールを生んだ「質より量のブラック文化」
text by
島沢優子Yuko Shimazawa
photograph byGetty Images
posted2021/05/11 11:00
今、国内の一部の学校で異常なルールの下「試合のためだけの部活」が行われている
東北地方で私立高校のバレーボール部顧問を務める男性教員は、タイムカードを押すたびにビクビクしてしまう。
「働き方改革で、県立高校に倣ってタイムカードが入ったのですが、労基(からのチェック)が厳しくて、部活が終わって退勤する夜8時には押せません」
残業代は出ないため、一度タイムカードを押してから体育館へ向かう。
「うちはそれでも7時過ぎには終わるので、練習時間は短いほうです。中学校なんて学校の体育館から他の場所に移動して『部活外』ってことにして練習するところもあります」
いわゆる「闇部活」と言われるものだ。コロナ禍以前から、文部科学省らが音頭をとる部活動改革で練習時間は短縮化されたが、保護者が他の体育館を確保。顧問は学校に隠れて指導をする。管理職は見て見ぬふりだという。なぜなら「大会で勝ってほしいから」(男性教員)だ。
たくさん練習をして、たくさんの試合に勝つ。そんな「質より量のブラック文化」が、この非常時で顔をのぞかせる。
部活文化はパワハラや長時間労働につながっている
もうひとつは、自分から「言い出せない」大人たちの陋習だ。前出の大阪のバスケット部顧問はこう話す。
「練習でクラスターが出ないとは限らないので、中止にしたほうがいいと話すのですが、『慣例ですから』と言われる。高体連と言っても、中にいる人たちは学校の先生。それぞれ大学の先輩後輩だったり、主従関係もあって個々が自由に意見できる環境じゃない。みなさん、周りの顔色をうかがうばかりで中止とは言い出せないのでしょう」
まるで東京五輪開催の是非を問われる人たちを思わせるではないか。
そう考えると、部活文化は日本社会の縮図にも見える。
忖度やわきまえを求められ、自由にものを言えない空気は、企業やその他の組織でもパワーハラスメントや多様性を認めない土壌を作る。質より量のブラック文化は、やりがいを旗印にした日本の長時間労働につながっている。
「部活とかスポーツの意義、そして最優先すべきものは何ですか? と聞かれたら、皆さんなんと答えるでしょうか。そこを問い直せば、おのずと答えは生まれるはずです」
久保田さんの問いかけに、部活にかかわる大人たちは何と答えるだろうか。