マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
甲子園優勝校・元主将の裁判「野球がない自分にはなんの価値もない」 高校時代に彼が語っていた“本音”を思い出す
posted2021/02/17 17:03
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
KYODO
「まあ、オレたちも、その手のことはさんざんやられたけど、いちいち転落してバカやってたら、世の中、野球部崩れの犯罪者だらけになってたよなぁ……」
そういって笑ったのは、私と同じ時期にある大学野球部で4年間プレーしていた友人だった。友人だから付き合いで笑ってもよかったのだが、とても笑えなかった。
(法廷での彼の言葉を信じるならば)「その手のこと」が原因で大学野球部を退いた青年が、直後、犯罪に荷担。先日その裁判が開かれ、実刑が言い渡された。
ちょうど1年ほど前、逮捕されたあとに、このコラムで触れる機会があった。野球に打ち込むのは立派なことだが、野球だけで10分の10にしてしまうのは、どうなんだろう。決して健全な状況とは言えないんじゃないか。
「何を言うか!」とお叱りもいただいたが、「野球がなくなった自分にはなんの価値もないと絶望して……」という法廷での彼の発言を聞いて、スポーツなんて……それも学生スポーツなんて、そこまで思い詰めてやらなきゃいけないのか、とやりきれない気持ちになった。
いつも勝たなきゃいけない、負けちゃいけない。冗談じゃない……勝負なんて、いつも勝ったり負けたり。それが「勝負」というものじゃないのか。
甲子園に出なきゃいけない、出たら優勝しなきゃならない。リーグ戦は優勝しなきゃならない。リーグ戦に勝ったら、「全国」を取らなきゃいけない。
心からそう願っているのは、実は選手より「大人」のほうで、選手が願う「自己実現」はもっと別の形だったりして。そういう「ほんとのところ」を、私はこの仕事をするようになって、何度か球児たちから聞いてもいた。
「あの人は、自分で自分を追い詰めていたつもりで、ほんとは別の何かに追い詰められていたんじゃないですか……ボク自身も、そういうことありましたから」
そう語ってくれた強豪校のキャプテンは、この春、もっとサバイバルのきびしい大学に進み、新たな「闘争」に身を投じる。