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新人だけの東京女子プロレスを導いた“アイドル”の教え「最初はなんで試合を見に来てくれるのかなと」

posted2021/01/11 17:01

 
新人だけの東京女子プロレスを導いた“アイドル”の教え「最初はなんで試合を見に来てくれるのかなと」 <Number Web> photograph by Tokyo Joshi Pro-Wrestling

辰巳リカ(左)は1月4日の後楽園ホール大会で勝利し、ベルトを巻いた

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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Tokyo Joshi Pro-Wrestling

 1月4日の東京女子プロレス、後楽園ホール大会のメインイベントでシングル王座プリンセス・オブ・プリンセスのベルトを初めて巻いた辰巳リカは、団体を「ビートルズみたいに」したいと言う。

 曲の名前は知らなくとも、世界中の誰もが一度は聴いたことがあるであろうビートルズ。それくらい広めていきたいというわけだ。プロレスラーや格闘家はよく「野球やサッカーの選手に負けないくらい有名になりたい」という表現を使うが、リカの場合は“メジャー”のたとえがミュージシャン、思考のベースが音楽なのである。

「ここでしか見られないプロレスが育っていった」

 長野で会社員をしていた彼女は、音楽グループDPGのオーディションに合格して上京してきた。企画からプロレス団体DDTが関わっていたグループで、メンバーにはプロレスラーもいた。DDTの会場で初めて見たプロレスに惹かれ、リカは系列の東京女子に入門する。2013年、まだ団体が正式に旗揚げする前のことだった。

「プロレスを見て好きになったのは“熱さ”の部分です。私が好きなブルーハーツやももクロちゃん(ももいろクローバーZ)に似てるなって」

 東京女子プロレスは新人しかいない団体だった。既存のスター選手をエースに立てたわけではなかったのだ。お手本がないから選手たちは自分で試行錯誤するしかなかったが、それは個性を伸ばしやすい環境でもあった。

 DDTグループの東京女子プロレスでは、コーチが教える技術も男子のスタイルだ。だが日本の女子プロレスには特有のスタイルと文化がある。選手を混乱させないためにも独自色を打ち出すためにも、団体は“鎖国”政策をとった。他団体・フリー選手の参戦は単発のゲスト程度。交流戦や対抗戦で盛り上げることはしない。そうすることで「ここでしか見られないプロレスが育っていったんです」と社長の高木三四郎は言う。

【次ページ】 アイドルの世界から団体の方向性を学んだ

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