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フロンターレ齋藤学が語る「絶望の時期」 ケガでちらついた引退、回復後もベンチ外続きでJ2移籍希望 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byMasashi Hara/Getty Images

posted2020/12/31 11:05

フロンターレ齋藤学が語る「絶望の時期」 ケガでちらついた引退、回復後もベンチ外続きでJ2移籍希望<Number Web> photograph by Masashi Hara/Getty Images

1年半前のケガから苦しい状況が続いた齋藤だったが……

「最も尊敬できる先輩」に報告した

「最も尊敬できる先輩」として横浜F・マリノス時代から慕っている富澤清太郎(SC相模原)に「会って話がしたいです」とLINEを送った。何か決めるときにはいつも真っ先に報告していたからだ。11月下旬のことだった。

「もう足が思うようにならなくて……引退しようと思っています」

 富沢の顔色が変わった。当時37歳の彼はケガに苦しみながらも、プレーを続けてきた。まだ30歳にもなっていない後輩のもどかしさは理解できるものの、まだ判断する時期じゃないと諭した。

 引退を報告するつもりだった。いや、心のどこかでは最後の抵抗だったのかもしれない。藁にもすがる思いで富沢の言葉に耳を傾けていた。

「いろいろと試してきたんですけど、休むという発想はなかった」

「カンペーさん(富沢の愛称)は“やめる前に休んでみろ。それでダメだったらもう1回来い”と言うんです。“いいか、人間の体というものは休めば炎症は治まる”と。確かに良くなるためにいろいろと試してきたんですけど、休むという発想はなかった。カンペーさんが言うんだったら休んでみてから判断しようって考えを変えました」

 体を動かさず、とにかくひざを休ませる。

 無理をしてやっていたことをやめてみた。ちょうどオフに入ったこともあって徹底できた。年末からアイスバスを日課として患部を冷やすケアを続けた。するとどうだ。良くなる気配すらなかった右ひざの痛みが日に日に消えていくのを実感できた。

 引退はやめることにした。2020年シーズンに向けて始動してからも快方を実感でき、キャンプでは段々と自分の動きを取り戻せる感触があった。蹴ってもジャンプしてもダッシュしても、痛みが薄れていった。

 そんななか、シーズンが始まった。

【次ページ】 自分の存在意義が見えなくなっていくようだった

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