スポーツ名言セレクションBACK NUMBER
大物たちの戦力外通告→トライアウト 元セーブ王「今の僕にはこれしか無かった」元首位打者は…
posted2020/12/06 17:03
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Koji Asakura/Hideki Sugiyama
<名言1>
置かれている状況を考えたときに、次のステージに進める方法が今の僕にはこれしか無かっただけのこと。
(小林雅英/NumberWeb 2010年11月15日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/62048
◇解説◇
スライダーと高速シュートを武器に、小林が積み重ねた日米通算セーブ数は「234」。NPBに限定しても通算6位(2020年時点)の228セーブで、千葉ロッテが日本一に輝いた2005年には最多セーブ投手にも輝いた。
“幕張の防波堤”のニックネームで名を挙げたが、MLBを経て2010年に巨人に加入したものの、わずか1年で戦力外通告の憂き目にあった。
その時点で小林は36歳。引退を考えてもおかしくない年齢ではある。しかしかつてのパ・リーグのセーブ王は、もうひと花咲かせようと12球団合同トライアウト参加を決断したのだ。
「145キロを出せたのはよかったですけど、(三振よりも)ゴロを打たせるのが僕のピッチングなんで、フォアボールが心残りでした。カウント1-1、打者4人(四球を出したため5人との対戦)という決められたルールのなかでアピールするためには、絶対に抑えるしかない。それしか考えていませんでした」
トライアウトは数多くの選手が参加するため、実戦とは少々違うルールで実施される。それでも小林はクローザーでの経験値を生かし、打者5人に対して無安打1四球とナイスピッチングを披露した。
「やれることはやれたのですっきりしています。判断するのは球団ですし、もし行き先が決まらなくてもイライラすることはないです」
そんな小林に声をかけたのは、オリックスだった。
翌年も目だった活躍はできず引退となったが、その後二軍コーチに就任するなど、自らの手で未来を開いたといえるだろう。