Number ExBACK NUMBER
東京五輪をあきらめて…「究極の文武両道」ラグビー福岡堅樹は医学部受験へ、どんな毎日を送っている?
posted2020/10/22 17:02
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Asami Enomoto
「自分の人生で大きな決断をしたときには、必ず、どの選択が一番後悔をしないかを常に考えてきました。今回(の選択)も自分のなかでは後悔をしたくない、後悔をしない人生を生きたいという思いが一番強かったからです。この選択が一番すっきりと受け入れられるものでした」
日本中が沸いた昨秋のW杯で4トライを挙げ、ベスト8入りに大きく貢献した福岡堅樹。東京オリンピックが新型コロナウイルスの影響で1年延期になったことを受け、6月14日、オンラインでの記者会見に臨み、かねてから志していた医師になるための道を優先することを決めたことを明かした。
当初は7人制ラグビーでの東京五輪出場を目指していたが、母国で開催される大舞台への挑戦を道半ばで断念。会見から3カ月以上がすぎ、あらためて未練はないのかとたずねると、福岡はすがすがしい表情で語った。
ADVERTISEMENT
「名誉なことでもありますし、チャレンジできる機会を棒に振るのもどうなんだろうと、多少は悩みました。ただ、それも含めて自分の人生なのかなと思いました」
周囲にも「自分の中で決断をした状態で伝えた」と相談はしなかったという。
「大体、いつも相談はしないですね。自分で決めてしまいます。自分で責任を取るしかないので」
2度の“不合格”
初志を貫くかたちで自ら下した決断に、一切の後悔はないときっぱりと言い切る。
「やろうと思えば挑戦できたのかもしれませんが、五輪が延期になるかもしれないという話が出てきたあたりから今後どうするかを考え始めていました。僕の場合、終わりが決まっているから頑張れるという部分も強くて、(五輪が)1年延びたときに自分が期待したパフォーマンスを維持できるかも含めて、100%、YESとは答えられないなと考えていました。それに、自分自身が決めていたタイミング、自分の選択を変えるのもイヤだなと。自分が言ったことは貫きたいという思いがありました。さらに、そこで切り替えた方が、次への準備がスムーズに進めるなとも考えました」
医師の家系に育った福岡は、内科医の祖父と歯科医の父に影響を受けた。中学時代は学年トップの成績を維持し、文武両道を地で行く県立福岡高校に進学。高校3年時には花園も経験した。
高校時代に膝を負傷した際に、手術をしてくれた整形外科医に感銘を受け、医師を目指すことを決意。現役で筑波大医学群を受験したが合格基準に届かなかった。さらに、浪人して翌年再挑戦するも、残念ながら前期二次試験で不合格となった。
国立大の後期試験を前に、福岡には複数の選択肢があった。もう1年浪人し、ラグビーから離れて勉強に集中するか、またはレベルを下げてラグビー部のない筑波大以外の国立大医学部に進むか、筑波大学の別の学部に進み、ラグビーを続けるか。