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野茂英雄×山中伸弥。
異色のパイオニア対談が実現!
posted2020/08/20 11:50
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Takuya Sugiyama/Takashi Shimizu
Number最新号『メジャー挑戦25周年 こんな夜に野茂英雄が読みたい』で、先駆者・野茂英雄とノーベル賞受賞の研究者・山中伸弥のパイオニア対談が実現した。
東京と京都――リモートでのオンライン初対談となったが、25年前、ふたりには意外な“接点”があった。
1995年5月2日、サンフランシスコのキャンドルスティックパーク。先発でマウンドにあがった野茂は、5回を1安打無失点に抑える好投を見せた。その後、6月2日の初勝利を皮切りにトルネード旋風を巻き起こし、13勝6敗でナ・リーグ新人王と最多奪三振に輝いて日米ファンの心を鷲掴みにした。
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ちょうどその頃、山中はサンフランシスコのグラッドストーン研究所に研究員として留学していた。同僚に日本人はひとりもおらず、少し委縮しながら研究を続ける中で、野茂の目覚ましい活躍は、山中の心の支えになったという。
「今回の対談では、まず野茂さんに感謝の気持ちをお伝えしたいと思っていたんです。野茂さんの活躍はアメリカ人の心もとらえて、毎日のようにその話題で盛り上がりました。日本人として得をした気分になると同時に、僕自身とても勇気づけられました」
野茂は「僕はただ、楽しんで野球をしていただけなんです」と語るが、メジャー挑戦を表明した当時は日本球界の反逆児とみなされ、逆風の中でアメリカ本土へ渡ったのだ。
直線と、回旋、そしてジャンプ。
「新日鉄に入るのも、プロで近鉄に入団するのも選択肢があったわけでなく、そこしかなかったのですが、アメリカに行く時だけは自分で決めて自分で選んだ。そこは回り道をせず直線的に進んだなという感じはします」
一方の山中は、自分の人生を回り道をしながら進む「回旋的人生」と位置付ける。それに比べて野茂の人生は「直線的でなおかつ大ジャンプがあった」と評す。
「普通の人は怖くて飛べないところを飛んでしまった」
話は人生論から、山中の専門分野であるiPS細胞の未来、野茂の代名詞となったトルネード投法の独自性、そしてコロナについてまで多岐に及んだ。
まったく違う分野とはいえ、その道の最前線を歩んできた者同士が共鳴した70分の対話だった。
巻頭インタビュー「僕がブレずに貫いてきたもの」では、メジャーに挑戦したときの心境と覚悟が綴られています。25年を経た今だからこそ、野茂英雄とトルネード投法を堪能してください。