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熟練の手綱裁きは未だ衰えず。
ベテラン内田博幸の原体験とは。

posted2020/07/10 20:00

 
熟練の手綱裁きは未だ衰えず。ベテラン内田博幸の原体験とは。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

6月にはダイワキャグニーでエプソムC(GIII)を制するなど、その技術は健在だ。(2019年撮影)

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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Satoshi Hiramatsu

 7月5日に行われたラジオNIKKEI賞(GIII)はバビット(牡3歳、栗東・浜田多実雄厩舎)が優勝した。小回りの福島競馬場、芝1800メートルという舞台を見事に立ち回り、8番人気という低評価の馬を逃げ切りで優勝に導いたのは内田博幸騎手。本来なら若手で売り出し中の団野大成騎手(栗東・斉藤崇史厩舎)が騎乗を予定していたが、当日の他のレースで落馬。急きょ乗り替わりとなりながらの戴冠だった。

 内田騎手は1970年7月26日生まれ。もう間もなく50歳になろうかという大ベテランだ。福岡の実家は兼業農家。馬とは無縁の家庭だった。

 男ばかりの3兄弟に加え、いとこ3人も一緒に暮らす賑やかな家で育った。小学生の頃は父の勧めで兄と共に器械体操に興じ、鉄棒をやれば大車輪くらいは平気で出来たそうだ。結果的にこの幼少時に養われたバランス感覚が、ジョッキーとなってから生きたのだろう。イベントのたびに彼がバック転を披露するのも競馬ファンの中では有名だ。

 そんな彼の競馬とのファーストコンタクトは小学6年生の時。家族と共に佐賀競馬場でレース観戦した。その時、初めて騎手という存在を知った。中学になり、騎手への道を意識して近所の施設へ行き、休養していた競走馬に跨らせてもらうと、こう感じたという。

「最初は高いし、怖いと感じました。これに乗るのは難しいな、と思ったものです」

1頭でも多く調教に乗った若き日。

 それでも騎手になりたいという気持ちが折れる事はなかった。上京し、大井競馬場で所属先を決めてから、地方競馬教養センターに入学。卒業後の’89年に騎手デビューを果たした。

「イメージ通りに乗れば勝てると思っていたけど、実際の競馬はそんな簡単なものではありませんでした。考えていた以上に難しくて、全く競馬をさせてもらえませんでした」

 まずは経験を増やさない事には話にならない、と考えた内田騎手はとりあえず1頭でも多く調教に乗るようにした。来る日も来る日もなるべく多くの馬に跨った。すると、周囲の彼を見る目が変わるのと同時に、自分自身のスキルも向上。徐々に良い馬を依頼されるようになった。

【次ページ】 ドラールオウカンという牝馬の思い出。

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