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セーリング國米創の破天荒な人生。
五輪延期を歓迎する理由とは。
posted2020/07/12 08:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Akihiro Kawauchi
「両親と姉、家族で幼少期からセーリングには親しんでいました」と聞くと、エリート一家に聞こえるかもしれない。しかし、國米創が歩んできた道はなかなか“破天荒”だ。
中学まではハワイで年に幾度かディンギー(1~3人乗りの小型ヨット)に乗る程度だったが、中1で「高校でヨット部に入る」と決意。当時いた私立の中高一貫校から公立中、公立高を経て、高2でヨット部の強豪、福岡第一に編入した。その後、法政大1年で全日本学生シングルハンドレガッタシングルハンド級2位に。そこで、再び大きな決断をする。
「当時のセーリングの師匠に、キールボート(船員の多い大型ヨット)に誘われたんです」
大学生がキールボートのチームに入るのは異例。部との両立は難しく、國米は退部してチーム入りした。すると直後の大学2年の年にトロントでの国際大会で準優勝、全日本選手権では優勝を飾る。さらに'17年には、世界最高峰のレース、ユースアメリカズカップにチームキャプテンとして出場も果たした。
「この大会は大きな目標でしたし、本当にタフでした。それが終わって解放された時、次の目標として東京五輪が浮かんできたんです」
1年の延期は「プラスでしかない」。
國米が挑むフィン級は1人乗りの重量級で、パワーが求められる。そのためにこの3年間、トレーニングで約20kgの増量を果たした。
コロナの影響でフィン級だけが五輪代表は未定で、10月に開催が検討されている世界選手権で内定が決まる見込みだ。
「フィン級の選手として僕は全てが足りない状態からのスタートだったので、1年延期もプラスでしかない。この状況下でも、所属会社は全面的に協力してくれていて、競技に一心に打ち込めています」
五輪の先に別の夢もある。
「オフショア(外洋レース)への挑戦です。自分のキャリアを通して、子どもたちにいろんな船に乗って経験を積む大切さと楽しさを伝えたい」
國米創Hajime Kokumai
1994年7月21日、米・ハワイ生まれ。小1からセーリングを始める。福岡第一高、法政大を経て、'17年ユースアメリカズカップ出場。'18年よりフィン級に転向し、東京五輪出場を目指す。姉の櫻は空手・形の米国代表。アイヴァン所属。174cm、104kg。