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2015年ラグビーW杯での極限状態……。
五郎丸歩はなぜ安定していたのか。 

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大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byAFP/AFLO

posted2020/06/29 19:00

2015年ラグビーW杯での極限状態……。五郎丸歩はなぜ安定していたのか。<Number Web> photograph by AFP/AFLO

2015年のラグビーW杯。練習の合間に空を見上げていた五郎丸歩。どこまでも大胆、かつチームメイトを思いやる繊細な気持ちが歴史的プレーを生んだ。

「1人ではできない、仲間がいてのスポーツだから」

 五郎丸は、自分がラグビーに打ち込んでいる理由を「1人ではできない、仲間がいてのスポーツだから」と言う。

「足も速くない、器用でもない僕が日本代表でプレーできるのは、ラグビーが団体競技だから。ビデオで自分の出ていた試合を見ると、自分の知らないところで、味方のFWが献身的なプレーをして、僕を助けてくれていることがよくある。僕も、そういう仲間の頑張りに応えるプレーをしたい」

 根底にはいつも、ラグビーを通じて恩返しをしたいという思いが垣間見える。

 昨年11月に初の著書『不動の魂』(実業之日本社)を出版した際も「ラグビーに恩返しできるなら」という思いで受諾した。出版後は故郷・福岡市の全ての小中学校と図書館に224冊を寄贈。W杯への出発前には、日本代表の選手たちが東日本大震災の被災地支援のためにたちあげた「SAKURA基金」に著者印税を全額寄付した。

「ラグビーに生かされた人間の、けじめとしての行動です」と五郎丸は言う。自分が数多くのメディアに取り上げられることについても、「僕1人にフォーカスされるのは望みじゃないけれど、僕をきっかけにしてジャパンというチームを、ラグビーを注目してくれる人が増えたなら嬉しいことですから」と、ポジティブに捉えている。

常にクールだった日本の砦が……。

 だが五郎丸と日本代表は、目標の準々決勝に進むことはできなかった。サモアがスコットランドに敗れ、最後のアメリカ戦を前に、B組3位が決まってしまったのだ。

 10月11日、グロスターのアメリカ戦。五郎丸は、そんな喪失感などおくびにも出さず、頑健にプレーを続けた。背番号15はこの日も1秒も消えることなく、ピッチで日本代表を支え、鼓舞し続けた。そして電光表示板の数字が「80分」を示したところで、五郎丸はボールをタッチに蹴り出した。28-18。五郎丸はサモア戦に続いてマン・オブ・ザ・マッチ(MOM)に選ばれた。そのインタビューだった。

「このMOMは、チームの……」

 そこまで言うと、五郎丸は声を詰まらせた。言葉が出てこない。目頭を押さえる。インタビュアーが、次の言葉を促す。

「我々の目標は、ベスト8……」

 そう言いかけて、また止まってしまった。常にクールにピッチに聳え立っていた日本の砦が、昂ぶる感情を抑えられずにいた。

【次ページ】 「今日も、朝起きたときは、すぐ練習着に着替えて……」

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