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メダルや優勝だけがナンバーワンか。
レスリング太田章の生き方と銀2つ。 

text by

藤島大

藤島大Dai Fujishima

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photograph byKyodo News

posted2020/04/13 07:00

メダルや優勝だけがナンバーワンか。レスリング太田章の生き方と銀2つ。<Number Web> photograph by Kyodo News

レスリング重量級においてオリンピック2大会連続で銀メダルを獲得した太田章。

試合運びと生き方は重なる。

 太田章は、幼いころに体操競技に親しみ、小学校から柔道、高校でレスリングに転じた。小説『青春の門』に感化されて受験した早稲田にはそのころスポーツ推薦制度はなくレスリング部も一般入試組ばかりだった。

 のちに本人がこう書き残している。

「早稲田のレスリングは2部だった。弱かった。高校でチャンピオンだった私は、一部の優勝校らの監督コーチに『太田はもうだめだ。弱い早稲田を選んだ太田は必ずつぶれる』と激励(?)され、その通り、2年から4年まで3年連続学生チャンピオンになった。(略)銀メダルを取れたのも、みなさんの御言葉のおかげです。感謝」(『体育学専修のあゆみ』)

 ひとつの競技のみに育たず、自分で進路を定め、ひとり工夫を凝らし、お家芸のはずの柔道でも苦闘の続いた90kg前後の階級(均整のとれた各国アスリートのひしめくクラス)で五輪表彰台に立った。

 ごりごりのレスリングでなしに体操選手の身のこなしや柔道の投げ技を「弱い」大学で独自に磨く。生き方と試合運びは重なっていた。

 1980年代、自由にわが道を進んだメダリストがいた。太田章の精神に杯を捧げたい。そして1988年の赤石明雄を「オールモスト・オリンピアン(ほとんど五輪選手)」と呼ぼう。

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