酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
全員が一定数の打席、バントなし。
野球離れの中で型破りな中学チーム。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2020/03/30 08:00
東京インディペンデンツの練習にて。本人が“やりたい”と思う自発性こそスポーツ、野球の原点であってほしい。
監督は横浜高でセンバツ準V経験。
事務局長の杉山と佐藤はともに慶應義塾大学野球部の出身。このほど野球殿堂入りした故・前田祐吉元監督の教えを受けている。前田監督と言えば「Enjoy Baseball」だ。その考え方が根底にあると考えてよさそうだ。
「もっと思い切りバットを振りまわそう」
「そう、いいぞ!」
グラウンドで大きな声で子供たちに声をかけている偉丈夫がいる。いかにも「野球をやっていた」空気を漂わせている。監督の太田智英だ。
横浜高校時代は捕手として成瀬善久とバッテリーを組み、2003年のセンバツで準優勝。東北福祉大でも全国優勝。日本通運でも都市対抗に出場した一流の野球人だ。
「野球界はいろんな問題があります。しごきとかパワハラとかもあって野球人口は減っています。特に中学校は“リトルシニアやボーイズなどか、部活か”の二択になっていた。その部活も少なくなって、リトルシニアやボーイズなどでプレーをする自信がなく中学で野球をやめてしまう子供が多くなりました。
そんな中で、子どもたちにはもっと自由に野球を楽しんでほしいと思っていました」
うまくいかなかった子も受け入れたい。
野球エリートだった太田は、どうしてこんな型破りの野球チームを率いるようになったのか?
「経歴だけ見ればエリートに見えますが、中学時代は全く無名だったんです。横浜高校に入った時も、周りからついていくのは難しいんじゃないか、と言われました。でも底辺からスタートして甲子園にも出て、大学、社会人でもプレーできました。鳴り物入りではなかっただけに、どこで野球をやっていても、メンバー外の仲間の気持ちがよくわかったんです。
そしていつも“勝つことがすべてではないな”と言う思いが頭の片隅にありました。だから中学で野球をやろうとしてうまくいかなかった子供もしっかり受け入れたい。そういう形で野球人口を増やしたいんです」