ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
トミー・ジョン手術から育成契約。
DeNA田中健二朗が目指す復活の日。
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byNanae Suzuki
posted2019/11/24 11:50
2016年、17年と2年連続で60試合登板を果たした田中健ニ朗。来季は「046」を背負って復帰を目指す。
メスを入れないPRP療法。
「もし手術をしてしまえば最低でも1年間は復帰できない。去年は11試合しか投げていないし、このままだと2年連続してチームの力になることができません。年齢的にも30歳を迎えることもあって焦りみたいなものはあったと思います。ただ状況として、ちょっと休んでノースローにすると、違和感なくキャッチボールや遠投ができたんですよ。これはもしかしたら保存治療でもいけるのではないかって」
トミー・ジョン手術ではなく田中がまず選択したのはPRP療法だった。これはPRP(多血小板血漿)を注射によって体内に注入する治療法だ。ヤンキースの田中将大が施術を受け、成功したことで知られるようになったが、患部にメスを入れる必要がなく、成功すれば治療期間も短くて済む。田中健二朗としてはとにかく早く戦列に戻りたいという一心からPRP療法に踏み切った。
治療は5月に行った。3週間の安静期間を経て、田中は投球練習を再開する。徐々に強度を上げていったが……。
「また同じ痛みが出てしまいました……。本当にどうにかならないのかセカンドオピニオンも受けましたが、やはりもうトミー・ジョン手術をするしかないということになりました。将来のこととかいろいろと考えましたが、手術をしなければ、いずれにせよ投げることは難しい。ピッチャーでずっとやってきて、投げられず野球人生が終わってしまうのは自分としてもどうなのかって……」
「野球人生を長い目で見た方がいいのかな」
自問自答の日々。手術をしたとしても来季、選手としての契約があるかはわからない。ただ終わるにしても、ピッチャーとして終わりたいという矜持が心の中でうごめく。田中は気持ちを切り替え、未来を見据えた。
「以前同僚だったロッテのチェン(・グァンユウ)が同様の手術を受け、今もバリバリ投げていますし、ダルビッシュ有さんや和田毅さんといった前例もあります。医師からは手術をすれば投げられるようになるし、その後、選手として長く過ごせると言われたので、今だけではなく、もうちょっと野球人生を長い目で見た方がいいのかなって」
振り返れば、必死に走りつづけてきた野球人生だった。春のセンバツで優勝投手となり、高校生ドラフトの1巡目で入団するも、なかなか結果は出なかった。チャンスを幾度も潰し、もがき苦しむ中で、ようやくリリーフという適者生存できる場所を見つけ、2016年には61試合で登板し防御率2.45とDeNAにとって初となるクライマックスシリーズ進出に大きく貢献をした。その後も好不調の波を経験し奮闘するが、ここに来てようやく一旦、足を止める日が訪れた。
田中は球団に手術する旨を伝え、了承された。暑かった8月、田中がオペ室に入ったのは、チームが優勝争いを演じていたころだった。