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日本ハムに小笠原道大が戻ってくる。
再会した広報が思い出した威圧感。 

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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photograph byKyodo News

posted2019/10/15 19:00

日本ハムに小笠原道大が戻ってくる。再会した広報が思い出した威圧感。<Number Web> photograph by Kyodo News

10日の会見で栗山英樹監督(左)と握手する小笠原道大新ヘッド兼打撃コーチコーチ。14年ぶりとなる復帰で「恩返し」を誓う。

一流バットマンの技術。

 少し遠い存在だったが、驚異の技術は目の当たりにしていた。「小笠原さん」のフリー打撃中のことである。外野ファウルゾーン、左翼線上で練習をチェックしていると、よく白球が我々、報道陣を目掛けて飛んできた。

 フリー打撃中に視界に入り集中力を削ぎ、練習を阻害していたのだろう。「小笠原さん」は、狙い撃ちをしてきて警告を発するのである。連続で3球ほど、ほぼ同じ軌道を描いてくる。我々、報道陣は打ち込まれると、それを合図にその付近から退散する。

 逆方向への流し打ちで、方向付けまでできる正確無比さ。生涯打率3割1分の一流のバットマンのすごさの一端に、驚嘆した。

 誤解がないように、断っておくが「小笠原さん」には独特のルーティンがあった。試合ではフルスイングが代名詞だったが、フリー打撃は一貫して軽打していたのである。そのため運動能力が高くない報道陣でも簡単によけることができる程度の打球で、身の危険を感じることはなかった。

食事中でも離さず、誰よりも振る。

 記者として、少し地に足が着いた2年目以降、取材で接する時間が増えた。沖縄・名護での春季キャンプ中は、1つのルーティンを作った。新庄氏は、午後の早い時間には練習を終える。居残り、自主練習をするケースは稀だった。

 そこから「小笠原さん」は毎日、延々とハードに動いていた。練習パートナーはスタッフが主で、ほぼ単独でバットを振り続ける。同じことを、同じような量を繰り返す。とにかく反復していたことを鮮明に思い出す。

 仕上がったと確証を得るまでは、実戦には出場しない。単調に見える毎日である。自主練習を終えるのが、午後5時すぎごろ。そこから取材という日々を、キャンプ中は繰り返した。チーム宿舎のロビーで原稿を書いていると、午後7時ごろに「小笠原さん」がバットを手に、外へと出ていく。

 屋内の練習施設へ向かい、後輩を引き連れての夜間練習。こちらが仕事を終えて名護市内の中華料理店へ入店すると、よく出くわした。練習を終えて店へと直行し、マスコットバットを傍らに置いて食事をしている「小笠原さん」に遭遇した。ファイターズではトップに君臨するスター選手だったが、ルーキーら若手を含めても、誰よりもバットを振っていた。体も意思も強かった。記者として嘆息して、その姿を眺めていた。

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