才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
26歳になった天才少女・岩渕真奈
「私がサッカーを続ける理由」
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph byKiichi Matsumoto
posted2019/10/09 11:00
普段はサッカーのことを考えない。
もちろん、サッカーをやめたいと思ったときもあります。むしろ結構ある方だと思うんです。でも、いろいろな人が応援してくれるからとか、もう1回W杯に行きたいとか、いろいろ考えると「やめたいな」止まりなんですよね。
一番やめたいと思ったのは、怪我が続いたとき。また4カ月サッカーができないのかとか、膝がこのまま戻らなかったら、と考えたときに、やめたいなと考えましたね。
ただ、今までサッカーしかやってきていないので、これを失ったらどうなるんだろうと考えても想像がつかないし、それはそれで怖いなって思っています。
とはいえ、一日中サッカーのことを考えているわけではありません。練習でも試合でも、ピッチに入ってからオンになると言ってもいいぐらい、普段はサッカーのことは考えていません。
私は練習も試合も全力でやりたいんです。だからこそ、それ以外の時間にサッカーのことを考えていると疲れちゃうんですよね。厳しい練習が待っているときに、今日もきつい練習だって思えば思うほど、自分がしんどくなる。ピークの山をピッチでできるだけ高くしたいから、普段は何も考えないぐらいの方が、気分の切り替えがうまくいくんじゃないかな。
じゃあ、サッカー以外の時に何をしているかと言ったら、何もしてないんですけどね。練習が終わったらケアをして、あとは家でゆっくりテレビを見たり、映画を見たり、ゲームをしたり……基本インドア系なので、ダラダラしてますね(笑)。
目標は東京オリンピックのピッチで。
若い時はすごい先輩がたくさんいて、本当に引っ張ってもらっていました。環境の変化もあった上での話にはなりますが、今は間違いなく引っ張らなきゃいけない立場になっていると感じています。ただ、立場って重要ですけど、それでもピッチの中に入ったら関係ない。若い頃はそのやり方が間違っていたというか、子供だったなと思いますけど、私はいつでも自分の色をピッチの上で出してきました。だからこそ、立場が変わった今も、ピッチの上で自分を示していくのが、私のやり方だと思っています。
東京オリンピックは今の目標ですし、そこでいい成績を残すのが一番の夢です。
リオオリンピックの予選で負けた時は、悔しかったのはもちろんあったんですけど、いろいろな感情があって。不甲斐なかったし、行けなかったという事実が自分たちにとってはものすごく大きかった。2011年にW杯で優勝をしてから、なでしこジャパンは絶対にオリンピックやW杯に行かなきゃいけないという立ち位置だったと思うんです。だからこそ失ったものはすごく大きかった。
則さん(佐々木則夫監督)がやめます、上の人たちが次はないな、と言っている状況の中で、それでももう1回自分はこのユニフォームを着たいと思ったし、今までいろいろな経験をさせていただいたぶん、自分がやらなきゃいけないという気持ちに改めてなった。
思うのは、結局うれしいことがあったとしても100%満足なんて絶対できないということ。そう考えたら、今までのサッカー人生は悔しいことの方が多かったし、そういう思いがあったからこそ成長もできた。だから私は今も負けたくないとサッカーを続けているんだと思います。
岩渕 真奈Mana Iwabuchi
1993年3月18日、東京都生まれ。小学2年の時に兄の影響でサッカーを始める。中学進学時に日テレ・メニーナに入団、14歳の時にトップチームの日テレ・ベレーザで公式戦初出場。2012年にはホッフェンハイム、2014年にはバイエルン・ミュンヘンとドイツのクラブに移籍。2017年6月よりINAC神戸に所属。日本代表として2011年ドイツW杯優勝、2012年ロンドン五輪銀メダル獲得などを経験し、現在も中心選手として活躍中。
新しいナビゲーターに俳優の田辺誠一さんを迎え、番組デザインもリニューアル。アスリートの「美学」を10の質問で紐解き、そこから浮かび上がる“人生のヒント”と皆さんの「あした」をつなぎます。スポーツ総合誌「Number」も企画協力。
第76回:岩渕真奈(サッカー)
10月11日(金) 22:00~22:24
なでしこジャパンのエースとして活躍中の岩渕真奈選手は、選手としての自覚に欠けていた若手時代の自分を“パッパラパー”だったと振り返ります。そんな彼女を変えたものは敗戦と立場でした。サッカー少女をエースへと成長させた、知られざるエピソードに迫ります。
第77回:楢﨑正剛(サッカー)
10月18日(金) 22:00~22:24
元サッカー日本代表の楢﨑正剛さんは守護神として4大会連続でW杯に出場。クラブでもJ1リーグ最多出場、GK初のリーグMVP獲得など輝かしい実績を残しました。今年1月に現役を引退。43歳となった現在は“GKを目指す選手を増やしたい”と若手や子供たちを指導する楢﨑さんの今に迫ります。