マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
佐々木朗希は「秋」に伸びる。
彼の器に、甲子園なんて小さい話だ。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byAsami Enomoto
posted2019/07/30 11:30
論争の最後はやはり「選手の納得感を高めるための準備」にたどり着くのではないだろうか。
監督は、因果な役回りなのだ。
「甲子園」を賭けたこの夏の予選を、オレたちはどう闘うのか。
こんな大事なことを、逆に、監督の一存で決めてよいのだろうか。
時間をかけてチーム全体で議論して、もちろん「オレの考え」も提示するが、「選手の考え」もとことん引き出したい。
あとになって、「あのとき、ほんとはこうだった……」、そんな後悔だけは絶対に許さない。お互いの考えを述べ合って、落とし所は「みんなの納得」だ。
これは時間がかかる。しかし、時間をかける価値はある。その日で済まなければ、日を改めてまた集まりを持ちたい。「みんなの納得」がチームの一体感になる。これが本当の「チームワーク」だ。
そして決まったことは、「すべてオレが決めたこと」。結論についての責任は、すべて「大人」が負えばよいのだ。
火の粉をかぶるのは大人の仕事であり、選手たちに火の粉がかかってはならない。納得があれば、ベクトルが定まる。
そのために、時間と手間をかけて「めんどくさいこと」に精を出し、その結果が吉と出れば選手のお手柄、凶と出ればその責を一身に負う。「高校野球監督」というのは、そうした割に合わない因果な役回りなのだ。
彼の能力は、秋にもうひと伸びする。
佐々木朗希という投手は、「秋」にさらに伸びる投手だ。
ひと休みして、普通の高校生の夏休みを味わったら、再びグラウンドに戻って、「夏」を目指していた頃の練習にもう一度取り組もう。
高校野球の現役を卒業し、公式戦の登板もノルマもなくなったノンストレスの心身で、秋の「三陸」の空気を思いきり呼吸しながら走り込み、投げ込む。
そして、「連投」のできる体に仕上げて、10月のドラフトを待とう。