令和の野球探訪BACK NUMBER
熊本で根を張るドラフト候補投手。
2度続く苦難にも「運命は変えられる」。
posted2019/06/29 10:00
text by
高木遊Yu Takagi
photograph by
Yu Takagi
本来ならいるべきだった男は、そこにいなかった――。
東海大九州キャンパスの右腕・小川一平は、スラッとした体格の身長182センチで、長い腕をしならせ角度のある最速149キロのストレートを投じる。変化球もブレーキの効いたチェンジアップと打者の手元で鋭く変化するカットボールは一級品。
脚光を浴びるべき存在だが、それがなかなか果たされていない。
今年は全日本大学野球選手権と侍ジャパン大学代表という、学生球界の晴れ舞台に進むことはおろか、その舞台に立つチャンスさえ与えられなかった。
特に地方大学の小川のような選手にとっては、またとない絶好の機会であるにもかかわらず……。
突如、球速が伸びた無名投手。
1997年に神奈川県逗子市に生まれた小川は小学2年の時に野球を始め、もともと肩が強かったこともあり、小学4年から投手となった。
とはいえ、小中学生時代、そして横須賀工業高校時代は、然したる実績はほとんど残していない。高校でもエースになったのは2年秋からで、最後の夏は県大会2回戦で姿を消している。
「甲子園に行きたいとは思っていましたが(激戦区の)神奈川だったので現実的に難しいと思っていました」と正直に当時を振り返る。進路に関しても「3兄妹の真ん中で家計的にもそうですし、工業高校で周りもみんな就職するので自分も就職しようと思っていました」という。
ただ、2年の冬を超えると球速が急激に伸びた。さほど厳しい練習をしたわけではなかったため、「全然走ってなかったんですけど、筋トレとご飯を食べて体重が増えたらスピードが出るようになりました」と笑う。
こうして球速は141キロまで上がり、横須賀工の三木健太郎監督は、東海大九州キャンパスOBで横浜隼人高校の佐野辰徳コーチに進路を相談。その紹介を受けた南部正信監督の「試合に出なきゃしょうがねえ。田舎の大学で目立とう」との口説き文句で、小川は縁もゆかりもない熊本の大学に進むこととなった。