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<ど根性からハードワークまで>
日本スポーツ メンタルの歴史。 

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byNaoya Sanuki

posted2017/04/20 06:00

<ど根性からハードワークまで>日本スポーツ メンタルの歴史。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

1996年 千葉すず「オリンピックを楽しみたい」

日本のスポーツにおけるメンタルの位置づけは、永遠の議題とさえ言えるかもしれない。独特の「根性」「忍耐」「部活」的文化は今も日本人のスポーツ観のどこかに根強く存在している。それはどこから生まれ、いかなる変遷を遂げてきたのだろうか。アスリートたちの内面の変化は、ある意味で日本という国がたどってきた変化をも映し出している。勝利至上主義と自由・自立の絶え間ない角逐の歴史を概観してみると、日本人のメンタルが向かうべき方向がおぼろげに見えてくる。

 星野源がCMでいう。「ライバルは、1964年」。言うまでもなく、東京オリンピックが開かれた年だ。日本がこの大会で獲得したメダルは金16、銀5、銅8。最高視聴率をマークしたのは女子バレーの決勝、日本対ソ連戦だった。

 当時、流行語になったのが女子バレーの大松博文監督の「俺についてこい」。この年の『文藝春秋』11月号に、「根性・闘魂・指導力」と題された監督の対談が掲載されていて、時代の空気を伝えている。

「勝たねばならん、という根性をうえつけられたのは、やはり戦争によってですね」

 敗戦からまだ20年も経っておらず、指導者の側には従軍経験が“哲学”として残っていた時代だ。厳しくなるのは必定だった。

 大松監督は、全日本の前は日紡貝塚で指揮を執っていたが、練習時間を増やすため選手たちに5時間程度の睡眠を強要した――とこともなげに話している。ストレートな“嫌われる勇気”だが、後に参議院議員に当選するなど、時代を代表する人物になった。

 当時の空気を知っている人も少なくなってきたが、'60年ローマ・オリンピックの女子100m背泳ぎ銅メダリストの竹宇治聰子氏(旧姓・田中)は、「'64年」と聞くと、こんなことを思い出すという。

「東京オリンピック、楽しくなかったわ。1年前くらいから、会う人、会う人から『頑張ってください!』って言われて、『頑張ってるわよ!』と言い返したかったけど、出来なかった(笑)。それくらい、地元開催のオリンピックってプレッシャーがあるんです。正直、私はローマの方が楽しく泳げた」

この記事は雑誌『Number』の掲載記事です。
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