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ウッズの優勝はすべての人の記憶に。
5年分の期待と歓喜が詰まった1日。 

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舩越園子

舩越園子Sonoko Funakoshi

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photograph byGetty Images

posted2018/09/26 12:00

ウッズの優勝はすべての人の記憶に。5年分の期待と歓喜が詰まった1日。<Number Web> photograph by Getty Images

タイガー・ウッズの優勝を多くの人が間近で見届けた。もはや幻想的な光景だった。

以前の攻め方とは違う着実なプラン。

 とはいえ、かつての経験や記憶、古いメモリーばかりが、この日のウッズの武器だったわけではない。腰の手術を受けた42歳の肉体は、以前とは異なる。さらに、コースの状況や天候は日替わりだ。そんないろんな事柄を考慮したり加味したりして、メモリーをアップデートする必要性もあった。

 だからなのだろう。かつてはアグレッシブに攻めて勝利だけを追求してきたウッズだが、今大会では「僕のゲームプランは、とてもコンサバティブ」を終始、貫いていた。

 2位に3打差で迎えた最終日。かつてのウッズなら「どこまで差を広げられるか」という期待を自ら抱き、究極の勝利の仕方を目指していたはず。だが、今大会では「計算上はパープレーでも勝てるはず」と自身への期待を最小限に抑え、「ピンではなくグリーンセンターに乗せていく」と、無理や無茶を最大限に避ける安全着実なプランを立てた。

 いざ、スタートしたら、思いのほかピンそばに寄っていった1番はいきなりバーディー発進。「1つバーディーが獲れたから、残りの17ホールは全部パーでいい。そう思ってプレーした」。

 思えば、メジャー初優勝となった1997年マスターズは2位に12打差を付けての圧勝だった。以後、これでもかというぐらいセンセーショナルな勝ち方を披露し続けてきたウッズが、勝てなくなった5年間の歳月を経て、ついに復活優勝ににじり寄ったこのとき、守りのゴルフに徹した戦いぶりは、いわば彼にとって究極の「我慢のゴルフ」だった。

ファンにとっても我慢の日々だった。

 そして、ウッズを見守り続けてきた大勢のファンにとっても、ウッズが勝利から遠ざかっていたこの5年間は、ウッズに対する期待や興奮をじっと抑え込む「我慢の応援」の日々だった。

「タイガーよ、もう一度」――そんな想いや願いは、常にゴルフファンの心の中にあった。だが、ウッズが4度も腰の手術を受け、戦線離脱するたびに「仕方ない」と受け入れた。

 昨年5月に薬の影響下で車を運転し、逮捕されたときは「信じられない」「信じたくない」と驚いたり、怒ったり、嘆いたり。ウッズが引退さえ示唆する発言をした昨秋には落胆したり、無力感にさいなまれたり。

 今年1月の戦線復帰を、ファンがどれほど喜んだことか。以後、6度の優勝争いと惜敗。人々はウッズ優勝がいつか必ず成されると信じ、我慢強く見守ってきた。

【次ページ】 ウッズが振り返って、目にした光景。

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