甲子園の風BACK NUMBER

小山台高校野球班に受け継がれる志。
大事な試合に現れる「赤とんぼ」。 

text by

神津伸子

神津伸子Nobuko Kozu

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2018/08/03 07:30

小山台高校野球班に受け継がれる志。大事な試合に現れる「赤とんぼ」。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

公立ながら激戦区の東東京で決勝に進出した小山台高校。敗れはしたもののいい表情だ。

監督の膝に止まった赤とんぼ。

 2006年6月3日、2年生で唯一レギュラーとなった市川君は上級生とともに、夏の甲子園予選で使う新しいバットを買いに出かけた。

 購入後、帰ってきた自宅マンションエレベーターが急に動いた。挟まれた市川君は、短い人生に終止符を打たねばならなくなった。新しいバットを握りしめて旅立った。

 係争中だった事故は、昨年和解している。

 野球班が受けた衝撃はあまりに大きく、しばらくは練習に集中する事ができなかった。そんな中、市川君の母、正子さんから野球班に1通の手紙が届く。

「皆さん、悲しい顔で練習をしていたら大輔が泣きます。だから笑顔で練習してくださいね」

 チームは、再び野球に打ち込んだ。

 夏の大会を終え、事故から4カ月後、新チームで千葉経大附高との試合中、ベンチに座っていた小山台野球班監督、福嶋正信の膝に一匹の赤とんぼが止まった。そしてそのまま、じっと動かなかった。あまりに動かない赤とんぼに、福嶋は思わず手を伸ばした。そして、問うた。

「大輔か?」

 すると、今度は赤とんぼは福嶋の指に止まった。

 指から離れた後に「おい! 大輔!!」と、呼びかけると、再びベンチに舞い戻ってきた。福嶋も選手たちも、溢れる涙を抑える事ができなかった。

 その後、赤とんぼは応援ポロシャツに刺繍されるなど、常に野球班と共にある。

練習は週3回、5時まで。

 都立小山台高校は、1923年に開校した伝統校だ。東急目黒線の武蔵小山駅のほど近くに位置し、難関大学に多くの卒業生が進む進学校でもある。

 野球だけではなく、各クラブ活動は部ではなく“班”と呼ばれる。「昔の卒業生が予科練に進む人間が多く、その名残から今も班活動と言うのです」という。

 野球班が狭い校庭を使って練習できるのは週3回のみ。しかも夕方には定時制の生徒が登校するため、午後5時には切り上げる。そんな環境下ながら2013年秋の都大会でベスト8に進出、文武両道で野球に取り組む姿勢が評価され、'14年の春の選抜21世紀枠に選出された。

 選抜では、初戦で履正社に敗れた。しかしこの出場が機となって、今回の東東京大会をエースとして投げぬいた戸谷直大を始め、多くの生徒が「小山台で甲子園に行く」と、必死に勉強して同校の門をくぐる事になった。

【次ページ】 野球日誌に残る思いを引き継いでいく。

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