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元キマグレン、2戦2敗のボクサー人生。
クレイ勇輝「あんな瞬間、人生で……」
text by
宮田文久Fumihisa Miyata
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2017/08/07 08:00
現役生活を嬉しそうに振り返るクレイ勇輝。たとえボクシングに愛されなくても、ボクシングを愛していることが手に取るように分かった。
ライセンス獲得は“タイムリミット”との戦いだった。
プロボクサーのライセンス獲得にしても、それこそ“タイムリミット”との戦いだった。ボクシングにのめり込んですぐ、クレイは自身がまだライセンスの年齢制限にギリギリ間に合うことを知る。「自分が昔ボクシングをやっていたと、胸を張っていえるところまで行こうと思った」。2013年7月に33歳になるまで、あと2年の間に取得しなければ――自分を追い込んだクレイは、受験資格を失う2カ月前、2013年5月9日に見事、プロテストに一発合格。プロボクサーとしてのライセンスをその手にした。
本来は、ここで終わるはずだった。アーティストとしての活動も多忙を極め、ジムに行く回数も徐々に減り始めた。そんな折、「ペーパー(の免許)でいいの?」という周囲の声を聞き、彼の闘志に再び火がついた。2013年11月29日、後楽園ホールでデビュー戦が組まれ、当日を迎えるまではあっという間だった。
クレイは自身がいうように、オーソドックススタイルを得意とするボクサーだが、プロテストの相手は、ほとんど経験がなかったサウスポースタイル。そしてデビュー戦も、後述する引退試合の相手も、奇しくもサウスポーだった。彼の短いプロボクサー人生は、このサウスポー対策に多くが割かれたともいえる。
強豪校のボクシング部に出向き、鼻を折られたことも。
やれることはすべてやった。宮崎のテレビ番組出演で知り合った、屈指の強豪校・日章学園のボクシング部にスパーリングに出向き、キャプテンとの試合で鼻が折れるという洗礼も浴びた。試合直前にはミュージシャンとしてのツアーがあり、テレビでハワイロケだといっても、朝からひとりランニングで体を絞り、食事制限を続けた。「減量を経て、『あ、水ってこんなに美味いんだ』と思った」というほどのキツい日々を乗り越えて、本名の「榑井勇輝」の名で迎えたデビュー戦は、しかし、2度のダウンを喫しての1ラウンドKO負けだった。
「デビュー戦で得たものは、ハッキリ言って後悔です(笑)」と、クレイは顔をクシャッとさせながらいう。だが、「あんなに自分を追い込む日々をまた経験するのか」と思うと、「もう1試合」という決断はすぐにはできなかった。スパーリングを中心にボクシングを楽しむ日々が戻ってきた。