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韓国女子ゴルファーには勝てない!?
キム・ハヌル、イ・ボミらの壮絶秘話。
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byGetty Images
posted2017/07/16 09:00
メジャー大会であるワールドレディスサロンパスカップで優勝した時のキム・ハヌル。今季すでに3勝しており、その快進撃はまだ続いている。
IMF経済危機の最中、輝いた朴セリの偉業。
通称“IMF経済危機”。
国民の生活は困窮していた。
そんななか米女子ツアーで輝きを放ったのが、国民的英雄の朴セリだ。
米ツアー参戦1年目となった1998年の全米女子オープンにおいて、「20歳9カ月」での史上最年少優勝(当時)を果たし、同年の全米女子プロゴルフ選手権でも優勝した。メジャー2勝という驚くべき快挙は韓国で瞬く間に大きなニュースとなり、その偉業がテレビで生中継されて多くの国民が勇気づけられたというのは有名な話だ。
ちょうどそのころ、イ・ボミ、キム・ハヌル、申ジエらの両親も「娘を朴セリのようにさせたい」とアメリカンドリームを夢見て、ゴルフを勧めている。彼女たちが“朴セリキッズ”と呼ばれるのもそうした所以だ。
貧しい中でゴルフを続けていた矢先に、母の死が。
申ジエの父はスポーツ万能で、バドミントンを愛好し、ボウリング競技では国体選手だった。ただ、結局プロスポーツ選手にはなれず、獣医になり、さらに牧師に転身したという変わり種でもあった。
そのせいか、娘にはスポーツをやらせたかったらしく「積極的にゴルフを勧められた」(申ジエ)という。
真剣にゴルフに取り組む申ジエに不幸が訪れたのは中学3年生のときの2003年。父と練習している間に、練習場に送ってくれた母が車でトラックと正面衝突して帰らぬ人となったのだ。
「車に乗っていた妹と弟は入院し、家庭の事情も良くなかったので、当時はあまりいい記憶はありません」
申ジエには、こんな逸話がある。
家に十分なお金がなかったため、食費や宿代はいつも節約していた。大会当日の朝には、必ず「キムパプ(韓国海苔巻き)」を作ってもらって持参していた。ゴルフを始めたと言っても、プロとしての将来がそう簡単に見えるはずもなく、とてもそのままゴルフを続けられる状態ではなかったという。
そんな時に、母が亡くなったことによって保険金を受け取ることとなった。
そして、いくつかの借金を返済し終えて1700万ウォン(約170万円)が手元に残ったのだという。