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努力したと決して自分では言わない。
西武・栗山巧が積み上げた1500試合。
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKyodo News
posted2017/04/18 11:00
1500試合出場を達成したソフトバンク戦では5番・DHで先発出場。この日は4打数1安打。9回の最終打席では中前打を放った。
「僕、そんなカッコイイこと言いましたっけ?」
プロに入って2~3年ほどしか経っていない、20歳そこそこの青年が、そこまで子供たちの目を意識してプレーしているとは考えていなかった筆者は、正直とても驚いた。
同時に、他の同世代の選手とは一味違うと感じた。若手選手特有の、まだ目標の定まっていないようなあいまいな印象はなく、真っ直ぐで、貪欲で、ギラギラとした野心のようなものを感じた。発言や、練習の姿勢、試合に臨む態度などからも「プロの世界で絶対に生き残ってみせる」という気迫が伝わってきた。
その言葉を聞いてからだいぶ月日が経った一昨年のオフ、1500本安打を目前に控えた栗山に、そのときの言葉について話すと「僕、そんなカッコイイこと言いましたっけ?」とおどけて笑った。本当に覚えていないのか、照れくささを隠したかったのかは不明だが、入団当時から彼は「人の目」を意識してプレーする「プロフェッショナル」だった。
高校時代、他の部員に隠れて続けた終電までの練習。
育英高校時代も、そこまで周囲の注目を集めた存在ではなかったと栗山は振り返る。授業が終わると上級生より早くグラウンドに出て、練習の準備をするために高校から5km離れているグラウンドまで全力で走った。
部室には、当然ながら1年生用の部屋などない。当時の育英高校には敷地を囲んだフェンスと、部室の間に人がやっと1人通れるくらいの隙間があった。そこに荷物を置き、制服からユニホームに着替えた。真冬は凍えるほど寒く、雨が降ると部室の屋根から、雨粒がしたたり落ちる。雨風を避けながら、練習に遅れないよう急いで着替えたと振り返る。
2年でレギュラーとなって、春、夏連続で甲子園に出場したが、決して才能だけで奪ったレギュラーポジションではなかった。当時の育英高校では居残り練習が禁止されていたため、同級生の1人とともにグラウンドの隅に身を隠し、監督や他の部員が帰ったのを見届けてから室内練習場に向かった。一緒に隠れていたチームメイトと、終電を気にしながらバットを振った。