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なぜ阪神は彼に66番を用意したか。
SB戦力外の柳瀬明宏と斉藤和巳の縁。 

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byHideki Sugiyama

posted2016/12/08 11:30

なぜ阪神は彼に66番を用意したか。SB戦力外の柳瀬明宏と斉藤和巳の縁。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

阪神は今季、中継ぎ陣が崩れて試合を落とすケースがままあった。トップフォームに戻れば、柳瀬は勝負できる立ち位置にある。

ミスターチルドレンの、あの登場曲のように。

「僕は復帰をしてからも、和巳さんにお願いして1月の自主トレを一緒にやった時期がありました。'13年の熊本での自主トレは本当にきつかったのを覚えています。決してシゴかれたわけじゃなくて、自分で考え、自分のためにとにかく追い込む。他人にやらされる練習よりはるかにしんどかった。でも、あれが自信になったから、シーズンでいい結果を残せたのだと思います」

 実戦復帰してから2、3年間は肩や肘の痛みこそなくなれども、不安は消えなかった。朝起きると、まず右腕を上げる。そして肘の曲がり具合を確認するのが日課だった。

「そういえば、最近はあまりやらなくなりましたね。今年は結果を残せなかったけど、二軍ではずっと試合に投げることが出来ていたし、コンディションに不安はありません」

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 ホークス時代はマウンドに向かう際の登場曲に、ミスターチルドレンの隠れた名曲である『蘇生』を使用していた。その一節は、まさしく柳瀬の心の声を代弁しているようだった。

<何度でも、何度でも、僕は生まれ変わって行く>

 また、その楽曲はこんなフレーズで締めくくられている。

<まだやりかけの未来がある>

「もう1年チャンスを貰ったんだ。悔いの無いように」

「あと何年やれるかなんて、先のことは言えない。和巳さんにはタイガースの入団発表の日に連絡をしました。『もう1年間チャンスを貰ったんだ。悔いの無いようにやれよ』と言ってもらえました。あ、でも背番号のことは何も言ってませんでしたね」

 現在はまだ福岡で練習を続けている。住み慣れた街を離れる寂しさはあるというが、生まれてから幼少期までは甲子園球場のそばで育った。タイガース入団もまた不思議な縁である。

「父親に連れられてタイガース戦を観に行ったこともあります。タテジマのユニフォームを着て、甲子園で投げるという実感はまだ湧かないし、想像も出来ない。だけど楽しみですね。まだ、入団発表の時には帽子だけだった。自分の名前と背番号66の入ったユニフォームを着るのが楽しみです」

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